きみっていうのは、ほら、って息子の肩にふれようとしたら、
あぁ、もしかしてぼく? ぼくなの?
俺はまたもやこらえる。そうぼくのことだよ。きみはきりしまたいちろうくん。
ある日、俺が昼寝していると息子が困ったような顔をしてじっと覗き込んでいた。頭の後ろで手を組んで寝ていた俺は、それをほどくと息子を腹の上に乗せた。
どした?
・・・ぼくね、よおくかんがえたらじぶんのなまえをわすれてしまうかもしれないよ。だからね。かんがえてみたの。すっごいはっけんだとおもう。
発見?
そう。
ぜったいわすれないよ。ほーほー。
俺は黙ってる。寝ぼけた頭のままで、ただただ静かに息子の次の言葉を待っていた。
わかりやすくさ、かしらもじにして。
かしらもじって? え? たいちろうそんなこと知ってるの?
しってるさぁ。ぼくのことばかにしてるの?
いや、パパはそんなことしてないしてない。ちょっとびっくりしただけ。
ぼくなんにちたっても、かしらもじはおぼえてるみたい。パパはPでいなくなったママはМ。ぼくはたいち、? えっとろうだっけ? だからTでしょ。だからパパもTってよんでこれから。
いなくなったママのところで、じわっとなにか滲みそうになったけど、耐えた。俺は息子の頭の中で何が起こっているのかわからないけれど、じきじきの提案をむげに却下できなくて、同意した。アルファベットが好きなのは、アルファベットクッキーのココア味のせいだと思っていたのに。
たいちろうじゃなくて、T? なんだか変な感じだな。でも、すぐ呼べるね。
でしょ、でしょ。ぼくはきりきり、えっと。
き り し ま だよ。
そうでした。パパは正解です。へっへっへ。きりしまT。
なにかツボにはまったみたいに、息子は狂ったようにじぶんの省略された名を呟いては笑い転げていた。それはもうこの素晴らしき世界というタイトルをつけてあげたくなるくらい幸せそうに笑ったのだ。
それから息子のことは、おたがいのためにTと呼ぶことにした。