小説

『ミス鼻子』中村一子(芥川龍之介『鼻』)

 洗濯ばさみではさんだら小さくなるというのがあったが、その洗濯ばさみをマックスで開いても、鼻子の鼻はつかめない。そのくらい横に根を張っている。
 シンクロスイミングで使ってるようなノーズクリップも買ってみたが、やはり鼻子の鼻の方が幅が大きくて、掴めない。内側から、つまり、早い話が鼻の穴に装着して、内部から突き上げて、横に広がった鼻を高くするという器具も買った。が、これは器具自体が穴の中で、ぶかぶかに泳いでしまって、装着できなかった。早い話、外側からも内側からも救いようがないのである。
 鼻子は毎日いったい何十回鏡を見て、何十回同じため息をついているだろう。そして、そのため息でさえ、鼻の穴から出る空気は人の何倍あるだろうと思う。鼻水も鼻血(今はほとんどないが、たまに血管が切れて出る)もその量は半端ではないと思う。もっとも人がどのくらい出るのか、比べたことはないからわからないが。
 整形をしようかと思ったこともあるが、失敗のリスクのほうが怖かった。
「鼻が無いんなら悩まなきゃいけないが、人一倍立派な鼻を持ってんだから、何を悩む必要がある」と鼻子の父は言う。だが、この鼻は「立派」というキャパをはるかに超えている。
 友だちに「私、相手がどんなお金持ちでも、顔がまずかったら絶対結婚なんてしない。だって、生まれてくる子が可哀想じゃん」と言う子がいた。「そうだよね。そういうのってあるよね」と同調しながら、鼻子は自分がその相手の方に属することを今、イヤというほど味わっていた。
 堂々と生きればいい。そう思う一方で、このままエレファントマンみたいな生涯を終えるのかと思うと、気が滅入って寝込みそうだった。それをかろうじて避けていられるのは、仕事で外に出ているからだ。たとえ、指の2本や3本、鼻の穴に突っ込まれたって、奇異な視線にさらされたって、家で悶々として枯れていくより、100倍いい。

 鼻子の鼻は遺伝ではない。
 両親も、父母両方の祖父母の写真を見ても、4人とも普通の鼻である。
 彼女の鼻が変形しだしたのは大学の4年の夏の終わりだ。その頃は人にジロジロ見られるのが恥ずかしくて、マスクを着用していたのだが、皮膚が炎症を起こして、ただれてきたのでやめた。それ以来、むき出しで歩いている。もっともそれが世間的には普通の姿なのだが、異様な形の鼻が鏡に映ると泣きたくなった。この世の全ての鏡を割ってしまいたかった。街のショウウインドウもファミレスの客席の鏡もすべて叩き割ってしまいたかった。
 鼻子はつい数年前まで、ブスを笑っていた。彼女は綺麗だった。生まれてからずーっと綺麗だ、カワイイと言われてきた。綺麗な女子の子として生きてきたのよ。見てよ。ほら、この写真。ビデオの中の私。繰り返し、繰り返し、それらを何度も何十回も見て、鼻子はそうつぶやいた。年を取った人が若い時の写真を見て、「私も綺麗なときがあったのよ」と思い出に浸るというが、26でどうして思い出に浸んなきゃいけないのよ。夜、ベッドに入ると、「朝、目が覚めたら普通の鼻に戻っていますように」と願って寝る。朝、目が覚めると、鼻の頭に手をやって、ため息をつく。

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