2週間後の週末、私たち三姉妹は母にどこかに連れ出された。あの日の涙なんてなかったように、騒ぐ私たちを叱りつける母の運転する車で向かったのは、オレンジと黄色の混ざったようなレンガ建ての壁のビルだった。青い文字の看板が屋上に掲げてあるのが見える。中に入ると、白い壁の廊下。エレベーターを上がって通された、これまた白い部屋には、パジャマ姿の祖父が枕を背にしてベッドに座っていた。すでに来ていた伯父と伯母が立ち上がる。大人同士の会話を尻目に、私たち三姉妹は珍しいベッドに駆け寄る。我が家ではまだ布団で寝てい て、ベッドは私たち三姉妹のあこがれだった。ベッドに寝ている割に、祖父は特に悪いところはなさそうに、母たちに応対している。そのうち、紙コップに入ったコーヒーを手にした祖母が部屋に入って来る。私たちをみて顔を綻ばせる。彼女は青いプラスチックをそわそわと取り出して、私たちに勧める。祖父もそれを嬉しそうに見る。わけがわからずにそれに手を伸ばして口に入れると、甘くない。手作り食品に凝る伯母がわざわざ祖父の為に作って持って来た無糖のクッキーだそうだ。途端に興味を失い、食べかけを母にわたし、味が気にならないのか律儀なのか黙って食べ続ける姉と妹を残して私はその輪から離れる。窓の外をみると、面白みのない小さな街を覆う青い空に、白い雲が浮かぶ。それは、なんでもない日曜日の午後。
私と一つ下の妹はたいていは仲が良かったが、それでも些細なことでよくケンカをした。学校から帰ると、母は留守にしていることが多かったが、そんな時は必ず何かお菓子が食卓の上に置かれている。それは三人で分けるおやつだ。透明な袋に入った百円均一のお菓子だったり、小さなチョコレート菓子の箱だったり。意地汚い私たちにとって、それを三等分に均一に分けるのは死活問題だった。ある日、それはチョコレートとビスケットできのこの形をしたお菓子の日だった。うまい具合にぴったりと公平に三等分させる作業を無事に終わらせた後、それぞれが分け前を思い思いに食べる、はずが、妹が私のチョコレートの一つをつまみとり、そのチョコレートとビスケットの部分をぽきっと折った。手元の本に夢中になっていた私は顔をあげると、妹の前には彼女の取り分はもう影も形もない。やられた。にやにやする妹に掴みかかる私。結局、力は必ずしも勝らずとも度胸では勝る私が、泣きわめく妹にスケートボードのようにその背中の上にのしかかり、床に押し付ける、というところで、姉が帰って来てその日はことなきを得た。
ある日、私は帰宅して家のドアの前に立つ。渡されていた鍵を探すが、ない。どこかに無くしてしまったよう だ。妹がすでに帰っているかもしれない、と呼び鈴を鳴らして見るが、誰も出ない。少し離れて窓を見上げる と、窓越しに、妹がにやにやして見下ろしている。しまった。ドアをガチャガチャと鳴らして「開けて!」と叫んでみるが、ドアの向こうの妹は知らん顔だ。となれば、次に帰宅する姉の帰宅を待つしかない。一年年上の姉は、ほぼ毎日、私と妹よりも授業が一時間余分にある。その後、友達と遊びながら帰って来れば、帰りはさらに遅くなる。六歳の私にとって、それは長い長い時間だった。そのうちおしっこをしたくなり、必死でドアを鳴らし続けるが、そうしながらもう無駄だとわかっている。仕方なく、きょろきょろと辺りを気にしながら、隣の空き地の隅にこっそりしゃがむ。 足元のカブトムシのようにつやつやと光る虫に、水しぶきが飛び散る。ティッシュがないので立ち上がりがてらそのまま履かなければならない白いパンツに黄色いしみがつくだろうと思うと嫌だった。