私たちはあらためて部屋を見回す。早速、妹は棚の上の方にある何か指差して言う。「あれがいい!」それは、ひみつのアッコちゃん、という、当時私たちが夢中になっていたアニメキャラクターがあしらわれた、プラスチックの小さな筒に入った使いかけの糊だった。きっとなんでもいいからと祖母が買ったのがここにたどり着いたのだろう。続いて姉が言う。「私はこれ。」先ほどのうちわだ。色鮮やかなあじさいの花が描かれている。おばさんじみているが、姉は昔から控えめで趣味が曖昧な子だった。祖父は私を見下ろす。無言の圧力に、私は必死であたりを見回す。はっきり言って、七十歳を越した老人の書斎に、六歳の少女にとって欲しくなるようなものの数なんてたかが知れている。めぼしいものはすでに妹たちに取られてしまった。祖父の顔を見上げると、期待に満ちた目。何もいらないなんて言ったら、きっと悪く取られるだろう。だからといって、欲しいものなんて、本当に何もない。困って目を泳がせていると、祖父は重ねて言う。「なんかあるだろう。本当になんでもいいんだぞ。」そう言いながら、祖父は棚の上に重ねられた錆びた菓子缶の一つを手に取って、中を開けてわさわさと揺すってみせる。細々としたがらくたがいくつか見える中、透明な小さな袋が見える。ひっぱり出して見ると、何か漢字が書いてある紙を台にした、小さな木製の杖だ。丸くなった把手の部分には、小さな赤い玉を先につけた、華奢な緑色の刺繍糸が飾られている。それを祖父に掲げる。「これ。」祖父は満足そうに、手にしていた缶を閉じて元あった場所に戻す。
私がちゃんと戦利品を得たことを確認した姉と妹は先に部屋を出て行く。それに連れ立って歩き出したところで私は、ふと気になって祖父の方を振り返る 。「これ、なんて書いてあるの?」漢字が書いてある台紙を見せ
る。祖父は老眼鏡をかけ、それを見入る。「どれ…うん、長生き杖。」訝しげな表情の私に再び返しながら、
「これを持っていると、長生きできるんだ。」「ふーん。」それがあまりピンとこないまま、電球の光につやつやと光る小さな杖、緑色の飾りを満足そうに眺め、すでにいい匂いを漂わせる食卓へと、いそいそと私は祖父の書斎を後にした。
それからしばらく経ったある日、私は家でテレビを見ていた。妹と姉はピアノ教室にでも行っていたのだろう。姉と妹はピアノを習い、私はバイオリンを習っていた。父曰く、私にバイオリンをやりたいかと聞いたら、う ん、と言ったからだそうだが、まるで覚えていない。そんなわけで週に一度訪れる午後 4 時には、ちょうどその時間に始まる、私と同じ歳くらいのまいちゃんと言う名前の女の子が、アニメ化されたキャラクターと一緒に料
理や工作に挑戦する番組見るのが習慣だった。まいちゃんが「アイ・マイ・ミー・マーイン!」という魔法の呪文を唱えると、ミラクルが起こって立ち上がった所々の問題が解決される。実際にそれを見て私も料理をするわけでもないし、そのまいちゃんは特別に可愛くもなかったが、他に見たいものもなく仕方なく見ているうちに、愛着が湧いてきた番組だった。しかも我が家ではテレビを見られるのは夕食の前の限られた時間だけ、となっていたので、みすみすその割り当て時間を逃すわけにはいかなかった。ある日、いつものように特に面白くなくも愛着のあるその番組を見ているうちに母が帰宅した。「おかえりなさ~い。」私は首を回して玄関に見える母の人影を確認しただけで、その場から動かずにテレビを見続けた。背後で母がいつも通り、スーパーのポリ袋から買ってきた食材を出して台所に並べるのが聞こえる。水道の音がする。綺麗好きの母は、いつも夕食の支度にとりかかる前にとりあえず食卓を拭くのだ。その食卓に背を向けてテレビの前に陣取る私は、食卓に向かってくる母の足音を聞きつつ、画面の中でクレープを作るまいちゃんとむしろひと時を共にしている。そのうち、食卓を拭きながら、母が呼ぶ。「きーちゃん。」「んん?」どこかいつもと違う響きに、私は後ろを振り返る。母は必死で食卓を拭いているようで、表情は見えない。もう一度言う。「んん?なに?」母はようやく口を開く。「じいじがね、病気になっちゃった。」そしてなんと、私の目の前でしくしくと泣き出した。いつも強い母。泣くのはその母に叱られる私たちの方だ。その母が泣くなんて。何を言えばいいか、どうしていいかわからずに、呆然と涙を流す母を見つめる私。テレビの向こうでまいちゃんの唱える魔法の呪文が「アイ・マイ・ミー・マーイ ン!」とこちら側の部屋にしらじらしく鳴り響く。