小説

『手取り20万円』広瀬厚氏【「20」にまつわる物語】

「昼間からこんな煌々と電気つけてもったいない! 」そう言って眉を寄せ、若奥様は工場の電灯のスイッチを何個か切った。
「マキコさん、すいませんけど手もとが暗くて作業がしにくいので、電気消さないでくれませんか」と、私は敬語を使いつつも、きつく言った。
「節約しなきゃダメでしょ。ただでさえ仕事がなくって経営苦しいんだから、節約しなくちゃ給料も出せなくなるわよ。ほんと、わかってるのかしら!」
「節約も苦しいのもわかりますけど、こう暗くては手もと狂ってケガしますから」
「… しょうがないわねっ!」吐き捨てるように言って、若奥様は電灯のスイッチをつけ直した。
 給料が出せなくなるとはまったく嫌な事を言うものだ。いっそ倒産してしまえ! とも思ったりする。真剣な話、転職したいけれど年齢の事を考えると…… 私は深くため息をついた。
 私が持参した水筒のお茶を飲んで、工場の片隅に座り一息ついていると、大奥様が箒を片手にやって来て、さっさと働けと言わんばかりに、私のまわりを忙しなく掃きだした。
 非常に目ざとい大奥様は、ちょっと休憩していると、どこからともなく現れる。それで昔は、直接に早く仕事しろとなり、遠まわしに嫌味なり、口に出したが、最近は決まって無言でまわりを掃き始める。たいへん煩わしい。それも、掃いているのやら? 床の塵芥を散らしているのやら? ひたすら箒を忙しなく動かす。どちらかと言えば……
「ハ、ハ、ハックション! 」確実に塵芥を空に散布させている。
 それに動じず無視していると、大奥様はさらに忙しなく箒を動かし、私の目の前を行ったり来たりする。いい加減にしろ! このままでは神経がどうにかなってしまう。私が仕事を再開しようと腰を上げたとき、
「バッキーちゃんいる〜〜?」と大きな声で、大奥様と仲のよい近所のババアがやって来た。
 バッキーちゃんとは事務所で昼の間飼われる、メスの大型犬の事である。
「いまトミちゃんが散歩連れてってるわ」と大奥様が答えた。
 トミちゃんとは工場の事務員兼雑用係として働く、アラフォー独身女性のトミコの事である。
 トミコは日に二三回、糞を始末するためのスコップとビニール袋を持って、バッキーを散歩に連れて行く。バッキーに食事を与える。ブラシでグルーミングしてやる。バッキーちゃん、バッキーちゃん、と高い声色を使って名を呼ぶ。トミコはバッキーを工場のなかの誰よりも可愛がる。だが、しかし、そう、私は知っている。
 ある日の事、私は用事で工場を外に出た。用事を済ませ工場に戻る私の前を、ちょうどトミコがバッキーを連れて歩いていた。声をかけようと思ったが、どうも様子がおかしい。私は気づかれぬよう、そっと後ろから様子をうかがった。
「コラッ!くそ犬、ちゃっちゃと歩かんか。ボケが!」
 トミコが汚い言葉を吐きながらバッキーの尻をつま先で蹴っている。バッキーはクゥーンクゥーンと鳴く。

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