小説

『手取り20万円』広瀬厚氏【「20」にまつわる物語】

 妻と結婚した。そのときたまたま勤めていたのが今の職場である。最初は年二回ボーナスがちゃんと出た。手当もなんやかんやと有った。そのうちボーナスも手当もなくなり今日に至る。何とか辞めずに続けている。と、トホホな話である……

 晩の食卓に私の好物であるマグロの刺身があがった。給料日と言えど、私の妻に渡すのは、贅沢が許されないほどの薄給である。マグロの刺身は結構お高い。なのに私のために用意してくれるとは。私は有難くマグロの刺身を頂いた。
「お前ら真面目に勉強しないとお父さんみたいになっちまうぞ」
 食事をしながら私は子供達に言った。
「そう思って、お父さんみたいにならないよう勉強してるよ」
 中3の息子が生意気を言う。しかし私は怒らない。
「ああ、それでいい」と言って苦笑いする。
「お父さんみたいになって何が悪いの? 」
 小6の娘が真面目な顔をして問う。私は、うちが貧乏だろう、と言いたいところを言わずおく。そして問い返す。
「だっていいのか、お父さんみたいになって? 」
「うん」娘は無邪気にコクリうなずき、
「だって何が悪いの? 」と繰り返し問う。
「そうだなぁ… まっ、別に悪かないか」
 困った私は、頭をかきながらいい加減に応え(と言う事は、真面目に勉強しなくても別に悪くない、と言う事になるのか?)と、自分の口から出た言葉の軽薄ぶりを胸に恥じた。このまま終わらせては良くないと思い、すぐつけ足した。
「悪かないかもしれないけど、ちゃんと勉強はしといたほうがいい。将来の選択肢がきっと広がるからさ」
「ちゃんとしてるよ」
 娘の言葉に私は胸をなでおろした。ほっとしつつ、この先子供達を無事に進学卒業させ、延いては立派とはいかずともせめて恥じぬよう娘を嫁に出してやれるだろうかと、自分の持つ金力のなさが大変不安となった。存外私の少ない手取りに、不満の表情をまったく見せない、妻の事が不思議である。

「ひょ〜ん、ふぇ〜ん、ははぁふぅ」
 50代独身アニメおたくの工場長が(工場長と言っても実際に現場で作業をしているのは彼と私の二人きり)突然言葉にならない言葉を発しながら、小太りのからだでピョンピョン跳ねる。日に何度か決まってピョンピョン跳ねる。まったく意味がわからない。いや、きっと、意味なんてないのだ。彼にとって意味なんて何の役にもたたない所へと横超した、高尚かつ神聖なる儀式に違いない。と、勝手に私は考え面白がる。

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