小説

『夜光虫のいる海』緋川小夏(『姥捨て山』)

 ウミガメは泣いていた。
 つぶらな瞳から大粒の涙がポロポロと流れ落ちて、砂の上に小さな黒いしみを作っていた。どうして泣いているのだろう。卵を産むことは、そんなにも痛くて苦しいのだろうか。それとも新しい命を生み出す感動の涙なのだろうか。私には、わからない。
 自分の出産のとき、私は泣かなかった。麻酔で意識が朦朧として、涙を流すことさえも忘れていたのだ。
 痛みで入院したものの微弱陣痛で、しばらくすると陣痛は完全に遠のいてしまった。連休前のあわただしい時期だったので、急遽、帝王切開手術をする日程が決まった。
 それでも母は「お友達とハワイに行く約束をしているの。生まれたら連絡ちょうだい」と言い残して、ウキウキと旅行に行ってしまった。
 夫の両親はそれを聞いて「初孫なのにねぇ」と呆れたように笑っていた。夫も笑った。私も笑った。笑うしか、なかった。
 万事そんな調子で、入学式や卒業式、授業参観なども、ほとんど祝ってもらったことはない。それなのに母は、私の行動をすべて把握していた。着る服さえも管理されて、私はいつも趣味の悪い昭和のアイドル歌手のような恰好をさせられていていた。
 おかげで小学生の頃は似合わない華美な服装のことで、ずっと苛めの標的にされていた。そしてお受験をして中学に進学してから、私は不登校になった。
 今、私の隣では母が同じように座り込んで、ウミガメの産卵を食い入るように見つめている。私がこだわっている過去のあれこれなんて、母にとっては取るに足らない些細な出来事でしかない。
 ウミガメのお尻のあたりからピンポン玉みたいな真っ白い卵が、次々に穴の中に産み落とされてゆく。透明な粘液に包まれた卵は、殻の中に新たな生命を内包している。
 このうちいくつの卵が孵化し、何匹の赤ちゃんカメが無事に海までたどり着けるのだろう。大人になり、再び卵を産む為にこの海岸に戻って来る確率なんて、私には想像もつかない。
 母はウミガメを見つめたまま、身じろぎもしない。この人はどうして私を産んだのだろう。大変なのは「産む」ことだけではなく「育てる」ことなのに。
「あんたのお母さんは産みっぱなしだね。まったく呑気だねぇ」と、訳知り顔で眉をひそめ、憐れむように囁かれる娘の気持ちが、あなたにわかるだろうか。
 たとえ未熟ゆえの過ちを教えてくれる人がまわりに誰もいなかったのだとしても、それが母親としての責任を放棄する理由には決してならない。
 ウミガメは卵を産み終えると前足を使って丁寧に砂をかけて、またゆっくりと海へ戻って行った。私は卵を間違えて踏み付けてしまわないように、近くにあった棒切れを拾って卵が埋まっているあたりに円を描いた。そして目印にする為に、砂で小さな山を作って棒切れを刺した。手のひらに触れた砂は、昼間の陽射しを残して温かかった。

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