小説

『わがままな人体』紫水晶【「20」にまつわる物語】

 そう。脳だ。夢でも脳が指揮をとっていたじゃないか。きっと脳が統率をとってくれる。それに、脳があれば人格が失われることはないだろう。この閃きも脳の仕業に違いない。脳が、自分にそう語りかけている。「大丈夫だ」と。
 健人の中で不安が消えた。
 これがもし実現したら、嫌なことは全て身体に任せればいい。聞きたくない話は耳に任せておけばいい。あの様子から察するに、健人の口はかなり達者と見える。そしたら梓への言い訳も口に任せればいい。そうすれば仲直りも容易にできることだろう。
 あらゆる可能性を考えると、健人の胸は途端に躍り始めた。
「早く明日にならないかな」
 薄く笑みを浮かべながら、健人は蛇口を捻ってシャワーを止めた。

***

「静粛に!」
 脳の良く通る声が、健人の身体を駆け巡った。
「それでは、これからプレゼンタイムに入ります。皆さん、準備はいいですか?」
「おう」
「いいぜ」
「大丈夫です」
 三つの臓器が口々に返事をした。
「おや? これだけですか?」
 脳が神経を研ぎ澄ませた。
「ああ、なんか盲腸のやつ、棄権するとか言ってたぜ。どうせ自分は無くてもいいからって。あんたの言ったこと、だいぶ気にしてたみたいだったぜ」
「そうですか。それは失礼いたしました」
 脳が申し訳なさそうに頭を下げた。
「でもまあ結果的に良かったんじゃないですか? 三つならプレゼンしなくても全員合格ってことでしょう?」
「それもそうですね」
 頭を上げた脳が、全身を見渡した。
 先の十七の器官に加えて、肝臓、膵臓、腎臓の姿があった。マイナーと言われた脾臓の姿は無かった。
「それじゃあこれで決まりですね。では、最終確認いたします」
 決定した器官の名を脳が挙げようとした時、「ちょっと待った!」神経質な声が身体中に響き渡った。
「ちょっと皆さん。私を差し置いて何をなさっているのですか?」
「あなたは……?」
「おや、お忘れですか? 脳さん。私ですよ。神経です」
「神経さん」
 一瞬にして全ての器官に緊張が走った。神経が、神経を強張らせたのだ。
「皆さん。よくお考え下さい。皆さんはこれから、一つひとつの器官を独自に動かそうとしていらっしゃる。その為に必要な機能は何か、お分かりになりますか?」
「え? 何?」

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