小説

『あの家、この髪』大澤匡平【「20」にまつわる物語】

アンティークを前に疑問もなくココアをすする母娘。怒りも悲しみの言葉もなく、朝ご飯どうする?とお母さんは、妹に目を傾けて私に聞いた。
次第に近づく聞き覚えのある足音に、不思議と胸は高鳴っていく。
顎をあげれば、あいつがいるのだろう。
昨日や先週の火曜とか、はるか前と変わらず。私は倒され腹の上にはあいつがいるのだろう。
でも、そこから私はいなくなる。
あいつは、私を投げ倒して無表情に乗っかる。いつものように掴み捻ろうとした髪がそのまま手にくっついている。
あいつの顔に血が通っていく。次第にオレンジのように火照る顔を見て“こんな色のパーカーどっかで見たな”だなんて思い出しても、出てこず。
降ってくるであろう拳に備えて、奥歯に力を入れていると。あいつの手が力なくフローリングに当たる。
「由宇、何でこんなことしたんだ。」
よく見れば、あいつの目に涙が浮いている。
なんでだか、風も吹いてないのに寒くもないのに鼻が痛い。
私は咄嗟に、床に潜らせた言葉が空を飛ぶ。
「ごめんなさい。」
いつぶりに言葉を受けて、返したのだろう。

ウィッグを乗せて人形に化けて、学校の門をくぐれば。
似合うね、どこで切ったの、綺麗。なんて求めも心もない言葉が浴びせられる。廊下の先には私の人形を人間の山が囲み、感情を植えていく。
濱田は、目上の黒い痣を笑い飛ばしている。幸福そうな笑顔で。
学生の甲高い声から離れるように、一人で坂を下り駅へ。
入野なり濱田なりで感じていた風は吹く事もなく、私の引き出しにある言葉にしたくない感情に全てを飲み込まれ、電車を乗り継ぐ。
家から離れていく線には、いつもは会う事もない営業回りのサラリーマンや爪を意味なく見つめるおばさん、環境に酔いつぶれた中高生。
交わらない仲間の送り迎えをし続けていると、やがて月が目立つ時間。
母娘は、恋人と出掛けるらしく今日はあいつと2人きりらしい。
帰ろう。帰りたい。単純にそう思った。

 

 
駅から家まで。人間1人が通るのでやっとな近道。
月は濃い曇りに覆われ、頼りの光は遠くに見える我が家だけ。
この道が私は嫌いだった。汚い猫、欠けた尻尾のヤモリ、足元を動く虫。
何か失いながらも人間を驚かす猫にもヤモリにさえ私はなれず、知らず知らずのうちに踏みつけられ死に果てていく名もない虫と私が重なり、嫌いだった。

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