小説

『海をつくろう競争』井口可奈(『蜘蛛となめくじと狸』)

 海の水がどこかから湧き出しているのだろうか? そうは考えにくかった。バスは内陸をずっと走っていき、山を登っていった。下ることはなかった。つまり山を越えなかったということだ。ここは山の中腹あるいは頂上付近の平らなあたりなのだろう。
 ではこの水はなぜ塩辛いのか、と考えて、これは海をつくろう競争だ、そして僕たちは海をつくろう競争の選手だ、ということに思い当たった。
 この水たまりは誰かのつくった海なのだ。
 しかし、どうやってつくるのか、僕には見当もつかなかった。僕以外の選手はみな海のつくり方を知っているかもしれない。そうなれば出遅れているのは僕だ。競争はすでに始まっていた。中谷くんが妙に仕切りたがったのも、自分がこっそり作業を進めてリードするためだとすれば納得がいく。油断していた。
 気がつくと、誰の、おーい、も、どこだー、も聞こえなくなっていた。そんなことよりも僕は海をつくらなくてはならなかった。海のつくり方を考えなくてはならなかった。
 海がないところに海をつくるのが海をつくろう競争の意図で、一番海らしい海をつくれば優勝なのだろう。海をつくる? でもどうやって? 僕は悩みながら辺りを歩いた。また水たまりがあった。海水だった。やはりみな海をつくっている! 気持ちばかりが焦って、ただひたすらにうろうろ歩き回った。水たまりをもうひとつ見かけた。小学校のグラウンドくらいの大きさだった。こんなに立派なものをつくることができる選手もいるのだ。急いでつくり方を編み出さなくてはならない。
 歩いていくうち、いつの間にか草原に戻ってきていた。バツ印のところには誰もいない。当たり前だ。みな海をつくることに専念しているのだ。僕はもうどうでもよくなってきて、寝転がった。どうせ姉が勝手に申し込んだ競争だ。選手とはいえ海のつくり方ひとつも知らないのだ。
 バツ印の近くに、たくさんの小物が固めて置いてあった。ティッシュハンカチフリスクミンティアブレスケア、口臭ケア用品がやたらに多い。へえ、と思って他を向こうとして、中が防水加工になっている紙袋が目に入った。中谷くんが男の子に渡したものだった。先ほどのものとは違い、この紙袋は未使用で小さく折りたたまれている。
 小物のところに駆け寄った。小物は地面に置いてあるのではなく、手のひらサイズの水たまりの上に浮かんでいるのだ。
「中谷くん?」
 僕は呼びかける。
「中谷くんなの?」
 返事はない。
 だんだん、体に力が入らなくなってくる。僕は倒れた。足の先からどっぱーんと潮が吹き出した。手が溶けて大量の水になり、波が生まれた。なるほど海はこうやってつくるのかと僕は納得した。
 僕はなかなか海をつくる才能があるらしい。見渡す限りすべてを海水で埋め尽くしてもなお、僕の体は海をつくり続けていった。山からあふれ出した海はふもとへ広がり、街の方まであっという間に伸びてゆき、陸地のほとんどを海の底に沈めてしまった。

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