小説

『神様、どうか』守村知紘(『駈込み訴え』)

 あの人はただ自分の不平不満を誰かに聞いて欲しかっただけなのです。あの人が頭の中で考えていたようなことは、決して他の弟子達には言えないようなことですから、ただ黙って聞いてくれる相手が必要だったのです。だから特別好きなわけではないけれど、コイツなら絶対に他言も反論もしないだろうと、わたしにだけ打ち明けてくれたのです。誰にも相手にされなくなった年寄りが、犬や猫に話しかけるのと同じ。とても寂しい行為でした。

 貴方は勿論ご存じでしょうが、あの人は神を信じていませんでした。ですから貴方を貴く美しい方だと崇めながらも、神の子とは思っていませんでした。貴方を自分と同い年の対等の存在として捉え、だから差ほど違いはないはずだと、半ばムキになって言い聞かせているようでした。

 たった一つのしかし重大な捉え違いのせいで、その後いくつもの誤解が生じ、あの人の貴方への狂おしいほどの期待が同じだけの激しさで、憎しみへと転化していくさまを、わたしは不安と共に見守っておりました。

 
 ですが、きっとそれは貴方も同じだったことでしょう。貴方が初めから、あの人を見捨てていた訳では無いことは、ちゃんと知っているつもりです。

 あの人の裏切りを、貴方は天に居るお父上から聞かされて、出会う前から知っていたけど、そうと知りながら素知らぬ顔で弟子に加えたのは、罪を犯させるためでは決して無かった。

 自分と共に旅をする中で色々と見聞きし、学んでいく間に、あの人が少しも利口になって神を信じ、貴方を真に理解すれば、誤解によって傷つき、暗い復讐の炎を燃やすことは無かった。最初の二人の罪の贖いに、必ず処刑場へと向かわされる貴方の悲しい運命のお手伝いをすることもなかった……ですが、そうです。あの人はあまりにも愚かでした。なまじ世知に長けていたせいで、自分の理論が完成されていたせいで、それ以外を受け入れることが出来なかった。

 だから貴方の為すこと語ること、あの人は全て自分の価値観に置き換えて捉えた。常識の型に無理やり押し込めて、自ら真実を歪めてしまった。

 乏しい食量しかない中で、貧しい人達に施しをしようと言う時、貴方を信じないあの人は、自分が調達しなければと命令された気になって苦労して駆けずり回った。本当はあの人が動かずとも、貴方は奇跡を起こせたのに。

 あの美しい農家の娘が貴方の身に迫る運命を知り、頭から高価な油を注いで、おみ足を自分の髪で丁寧に拭った時も、あの人はあの娘にそんな深遠な意図があるとは知らず、実に人間らしい浅はかさで、やれ客人の頭に油を浴びせかけるとは何事だとか、こんなに良い油を無駄にして勿体ないだとか叱りました。それは最愛の貴方と、密かに愛情を感じていた彼女の関係を、ただならぬものと誤解しての、嫉妬から来る怒りでした。ですからあんまりしつこく彼女を怒るあの人を貴方が叱った時、あの人は貴方が彼女を庇ったのだと思いました。

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