小説

『拝啓 佐伯先輩殿』戸上右亮

 怖い。声を荒げないで欲しいと切に願った。内容が単に「ダルマ」のゴリ押しであり、状況を理解する手助けにならないのであれば尚更だ。
「あの、先輩、ダルマって、もしかしてアレすか? あの、赤くて丸いやつすか?」
 佐伯先輩と一番親しいオガが、精一杯おどけた口調で切り返す。なるほど、さすがはオガ。言われてみればその通りだ。佐伯先輩ともあろうお方が、僕らにダルマを売りつけるとは考えにくい。つまり「ダルマ」は、違法薬物やパーティー券などを指す隠語なのだ。それはそれで困るのだが、ひとまず納得はしやすい。
「……ったりめぇだろうが! 赤くて丸くいやつ以外にダルマってあんのかコルァ!」
 違った。隠語でも何でもなかった。
 ここでの「ダルマ」もやはり、世間一般の解釈と同様、赤くて丸く、めでたい感じのアレを指す名詞であるらしかった。
「え、でも……あの、え…? えっ? あの、先輩、なんで、ダルマ……売ってん、すか…?」
 タキも僕と同じ気持ちなのだろう、その口調からは困惑しか感じられなかった。
 一体なぜ、ダルマを。
 一体なぜ、佐伯先輩が。
「ダルマ」と「佐伯先輩」。そのギャップはあまりに大きく、僕らにはすんなり受け入れる準備が整っていなかった。例えば「暴力菩薩」の名前が入ったステッカーやライター、あるいは使い古した木刀だって構わない。せめて、佐伯先輩から譲り受けたのだと皆に自慢できる、そんな一品であれば良かったのに。そんなものであれば、すんなり納得できたはずなのに。なぜ。一体なぜ、ダルマなのだ。
「暴力菩薩の先輩たちからよぉ」
 先輩はカチン、とオイルライターの蓋を開け、また煙草に火をつける。こういう時の表情は、やはり渋いと言わざるを得ない。先輩が可愛い女の子を常にとっかえひっかえ彼女にできる理由がわかる気がした。
「代々受け継がれてるダルマがあんだよ。すげーデケーしよぉ、両目ともビシっと入ってっからよ。お前らそれ、買え」
 そう語る先輩の口調は、若干自慢げですらあった。
 暴走族の先輩に民芸品を売りつけられる。そんな経験を持つ人間は、日本に何人いるのだろう。東北地方などでは、「おめぇら、このコケシ十体セット、買え」などと脅される中学生がいたりするのだろうか。
「それって……あの、いくら、するんすか?」 
「二万」
 高い。いくらなんでも高すぎる。
 二万円と言えば、夏目漱石先生が二十人分であり、つまり僕が一ヶ月に親からもらえる小遣いの二十倍である。中学生がダルマにそんな大金を出せるはずがない。いや、社会人になった今でも二万円など到底出さない。二千円でも出し渋るだろう。だいたい、暴走族が大きめの使用済みダルマを代々受け継いでいる意味がわからない。

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