小説

『ラプンツェルとハゲ王子』矢鳴蘭々海(『ラプンツェル』)

「もちろんそれだけじゃないと思うけど、退職する日にこう言われました」
 ――もし次の仕事が見つからなくても、お母さんがイイ人を見つけてくれるでしょ。
「……それはヒドイですね」
 一通り話を聞き終わった玉西さんは、私を哀れそうに見た。今までの鋭さの取れた、慈悲深い目つきだった。
「でも野田さんのお母さんは、僕にとっては最高の仲人ですよ。前任の仲人よりずっと親身になってくれるし」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
 料理の湯気みたいに、彼の言葉が心を一瞬温かくさせた。食事をしながら、玉西さんは自分の仕事について語った。
「僕はずっと、界面活性剤について研究してきました」
「界面活性剤?」
「簡単に説明すると、表面張力を知っていますよね?例えば、このコップに水を満タンまで入れると、表面が丸くなって水がこぼれないように働く力のことです」
 玉西さんは自分のコップに、ギリギリ水がこぼれない所まで水を足した。水面が滑らかに光って丸い弧を描いている。
(玉西さんの頭みたいだ……)
 吹き出しそうになるのをこらえて、私はわざと神妙な顔を作った。
「この表面では水の分子がお互いに手をつないでこぼれないように踏ん張っていて、これを『表面張力』といいます。ただ、接する面が『水』と『空気』じゃなくて、『水』と『油』だったり、異なる物質が接する場合は『界面』といって、その境界で同様に生じる力を『界面張力』といいます。化粧品を作るためには『水』と『油』といった、本来混ざらない物質同士を混ぜないといけません。それらの『界面』に入り込んで『界面張力』を下げるのが、界面活性剤の主な役割なんです」
「はあ……なるほど」
「界面活性剤と一口に言っても、親水基の種類が違えば全く別の個性を持っていて……」
 私が真面目な顔つきをしているのに気を良くして、玉西さんは界面活性剤について延々と語り始めた。「ファンデルワールス力」とか「分子専有面積」とか理系ワードが次々と彼の口から飛び出してきて、私の耳を右から左へと流れていく。そんな私に構わず、玉西さんは情熱的に語り続けた。なぜだろう、ハゲが熱く語ると熱意が2割増しに見える。
 内容のほとんどは分からなかったけど、最初の方の説明だけは印象に残った。
「界面活性剤は、異なる物質の間に入ってつなぎ合わせる仲介役ってことですか?なんだか、仲人みたい」
「あ!それは面白い考えですね!」
 玉西さんは子どものように目を輝かせて笑った。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12