小説

『偶景と旅する男と』もりまりこ(『押絵と旅する男』)

 郷田は初老の男が持っていた額の中の硝子の器の家で、女と幸せそうに暮らしていた。
<遠目がね>で久しぶりに郷田と邂逅しながらも、栞はあたらしい暴力的な感情がふたたび芽生えているのを感じていた。
 男はおもむろにジャケットのボタンを締めると、次の駅で私、降りますからと帰り支度をし始めた。
 降りる時、「あなたの番ですよ」と額に視線を放った。
「私に出会った次の人間がその額の管理をしなければいけない。そういう決まりですから。どうぞ旅にだしてやってください。出会えてよかった。それでは」
 さよならの挨拶の時も初老の男は視線を交わさなかった。
 栞は、男がどこかの駅に辿りついて降りてゆくその背中を見ていた。
 辺りは、闇だった。その背中だけを目で追っていたはずなのに、闇にまぎれて男の姿はもうみえなくなっていた。

 栞は、残された額の中をふたたび<遠目がね>で覗き込む。
 郷田蜃気楼は、踊っていた。踊りながら女と朗らかになにかを話していた。
 栞と一瞬視線があったように思ったのに、その視線は突き抜けながら交わることはなかった。視線を合わせた時にもうなにかが終わっていたことを、知った。
車窓からふとみると、栞の乗った線路が細編みのレースのように果てしなく続いていた。
 

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