小説

『銀三匁』石川哲也(『かちかち山』)

 ふた月過ぎ、佐吉はなんとか起き上がれるようになった。更にひと月経つと、杖をつきながらではあるが歩けるようにもなった。
「かかあを、娘とおなじ墓に入れてやりてえ」
 佐吉は、湖の対岸にある墓まで行きたいと言い出した。
 村には小舟が一艘あり、山火事で焼けてしまった村に残る墓場まで行くことができた。舟は大きいものではなく、大人がふたり乗るのが精一杯であった。
「私が一緒に行きます」
 実際には、ろくに櫓を操ったことなどない新助であったが、佐吉とふたりきりになるまたとない機会だと考え、名乗りをあげた。
 村人たちは大やけどを負った男の体を心配し、もう少し待った方が良いのではないかと声をかけたが、佐吉が泣きながら「かかあが不憫だ。娘がひとりで寂しがっている」と言うので、新助に託すことにした。
 翌朝、佐吉と新助は小舟に乗り込んだ。小さな木の箱に入った、佐吉の女房と共に、娘が眠る対岸に向かって、ゆっくりと岸を離れた。
 新助が櫓をこいで四半時ほど経つと、急に霧が立ち込めてきて、何も見えなくなった。
「こりゃいかん。何も見えん。霧が晴れるまで待たないといかんのう」
 佐吉が新助に声をかけた。
 しかし、いくら待てども霧は濃くなるばかりで、まるで雪に埋もれてしまったかのように、お互いの顔すら見えなくなってしまった。
 新助はそろそろと手を伸ばし、佐吉の女房が入った木の箱を手に取った。
「おい、たぬ吉!」
「ん、新助さん、どうした? 急に乱暴な声になって」
 佐吉の戸惑う声が合図であったかのように、新助は木の箱を湖に投げ込んだ。どぼんという音に、なんだあ?という間の抜けたような反応。「おまえの大事なかかあが水に飛び込んだのさ」と新助はせせら笑いながら答えた。
「な、なにするだ!」
「はん、早くしないと、かかあは湖の底に沈んじまうぜ」
 何事か喚きながら、佐吉が水に飛び込む。五体満足であれば問題はなかったかもしれないが、今の佐吉は歩くことすら不自由である。水をかく音が数回聞こえた後は、ぶくぶくと微かに泡立つ音がしたのみで、静寂が訪れた。
 これで地主の財産はすべて自分のものだと確信した新助は、慌てることなく霧が晴れるのを待つことにした。

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