小説

『人魚とダンス』戸田鳥(『人魚姫』)

「突いたひとだけがわたしの銛を抜くことができるはず」
「よくわからないけど、生まれてこのかた、銛なんて持ったこともないです」
 僕の言葉に気が削がれたのか、人魚はひとりミュージカルをやめた。僕は深呼吸して気を落ち着けた。
「それに僕、魚の彼女とかそういう趣味はないので」
「ちゃんと人間になるわよ。薬があるの」
「その薬って、たしか喋れなくなったりする……」
「そんなの作り話よ。それにいまは副作用もない、いい薬ができてるの。用法用量を守って正しく飲めば、下半身も完璧な人間の女よ」
 一瞬黙った僕の顔を人魚が見上げた。
「いやらしい想像をしたでしょう、いま」
 上目遣いで僕を見る人魚の頬は、引き上げた時よりも赤味がさしているように見えた。白っぽい眼は視線の角度によってさまざまな色が浮かんでは消える。オパールのような不思議な瞳だった。
「してないです」
「嘘おっしゃい」人魚は僕に腕をからませた。
「というわけで人間になってあなたのところへ行くわ」
「いやでも、僕は王子じゃないし、うちはお城じゃなくてしけた民宿だし、親になんて説明すれば」
 えー、なにそれ。と人魚は不満の声を上げた。
「まだ学生なんだからしかたがないでしょう」
「そんならいいわ。やり直す」人魚は銛を拾って僕に差し出した。
「もっかい刺して」
 今度は僕がええっ、と言う番だった。
「刺した人間しか抜けないんじゃないんですか」
「だって、お城の舞踏会で踊るのが夢なのよ。王子であってくれないと」
「王子もお城も、現代日本では無理だと思いますけど。わざわざこんなことしなくても、薬で人間になれるんでしょ」
 人魚は渋い顔になった。
「薬をもらうのに身元引受人が必要なの」
「王子の?」
「王子はわたしの第一希望。古い慣習で、人間の保証人がいないと薬を処方してくれないの」
 人魚は僕ににじり寄って、
「ねえ、わたしの引受人になってくれない? 今回は王子じゃなくても我慢する。舞踏会でなくても踊れればいいわ。住所名前だけ貸してちょうだい」と、僕の手を取った。濡れた髪と彼女の乳房が僕の胸に触れそうだ。

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