「よぅし、『ばんだあすなっち』がうまいこと回ってきたようだ…この前の弁護士よりも早くてよかったよ…。」
くつくつという、男の笑い声が続く。
俺は慌てたが、身体はなすすべもなく床に崩れ落ちていく。
そうして床に伏した瞬間、俺の視界に飛び込んで来たものがあった。
…それは、机の下に隠されていた男物の鞄と、ひとつの眼鏡。
眼鏡は何かの衝撃が加わったのかひびが入ってひしゃげており、鞄は蓋が開いて中の書類や本が散乱していた。そのどれもがホコリを被っていたがその中に一冊だけ、堅苦しい中身とは噛み合ないような、妙なタイトルの本があった。
…『スナーク狩り 8章の苦悶』著:ルイス・キャロル…
俺は、その本の中身に覚えがあった。
それは、子供の頃に読んだことのある一冊の詩の本…。
ナンセンスな文句がいくつも書かれた奇妙な物語…。
しかし、それ以上考えるまもなく俺の視界は急速にぼやけていき…。
…やがて、俺の意識は水底へと沈んでいった…。
…『スナーク狩り』は、確かこんな話だったはずだ。
航海の後、人や動物を交えた集団が島に上陸する。
彼らは「スナーク」を求めていた。狩るために指ぬきで探し、フォークと希望で追い立て、株券で脅し、石鹸と笑顔で魅了した…。
「スナーク」にはさまざまな種類があり、危険なものもたくさんいた。
…そして、詩の最後はこうしめくくられていたはずだ…。
『そう、そのスナークは…』
…しかし、それ以上考えようとしたときにひどい寒さが襲ってきて、俺は薄く目を開けた。
とたんに、頭上から声が降ってきた。
「…おう、まだ死んでいないとは…よほど『すなあく』に気に入られたようだ…なら、もうちっと時間をおいてからこいつの様子を見てみるか…。」
…意識が揺らぐ中で聞いた声…それは、あの男のもので間違いなかった。
俺は鈍くなった頭を必死にめぐらすと、今までのことを思い出し、重たくなった半身をむりやり起こした。
…とたんに、ぴちゃりと水のはねる音がした。
周囲に目をこらすと地面から数センチほど冷たい水がたまっており、自分の身体を濡らしていた。そうしてゆっくりと身を起こすと、ようやくこの場所が壁の隅に裸電球が一つ灯るだけの薄暗く広い洞窟のような所であるとわかった。