「雪・・・」
「え?」
「女の子が」
「女の子?」彼は首を傾げる。「倒れてるのに気づいたときは、君は一人だったけど」
彼の言う通り、周りに雪らしき人物は見当たらなかった。僕は病院へ運ばれた。脱水症状を起こしていると言われただけで、点滴を打ってもらい、すぐに帰った。僕は雪に連絡しようとしたけれど、スマートフォンから彼女の連絡先は全て消えていた。友人に連絡を取って雪のことを訊いてみたけれど、真岡雪のことを覚えている人間は一人もいなかった。彼女という人間は影すら残さずに消え去っていて、僕にだけ、その刻印が残っていた。誰に見せても、何も証明できない証。それは孤独となって、僕の人生に宿った。彼女が誰だったのか、一度は突き止めようとした。母校の高校の卒業アルバムを、創立当初のものまで全て見た。二十数年さかのぼってみても、真岡雪の名前はなかった。しかしこの場所にはその前にも、違う高校が建っていたという。彼女はいつから、高校生活を繰り返していたのだろう。
一方で、「殺人アーチ」の名前は残っていた。人が死んだことは、真岡雪がいなくなっても人々の記憶に残っていた。でも、もうあそこで誰かがおかしな死に方をすることはないのだろう。そしていつか、「殺人アーチ」という名前は、それが生まれたときのように消えていくのだ。
僕は確かに雪に、「人を殺すものを好きにはならない」と言った。だけどそう思っていただけで、実際は違う。僕は初めから、自分の望みを叶え続けている彼女が好きだったのだ。彼女が誰で何をしていても、あのとき、それまでの人たちと同じように、自分の命が失われようとしていたときも、最後まで彼女が好きだった。だけど、僕は生かされて、二人は別々になった。
一つになりたかった彼女が残した望み、それを、僕は独りで叶え続ける。
* * *
車椅子を押されて、少女は桜のアーチを通っていた。やっとここまで来られた、と少女は思った。この体で高校に入学できたことは、自分で誇りに思える。それなのに、この先は長くは続かない。それがわかっていたから、うれしいのに、くやしくて悲しかった。せめて卒業するまで、そう、あと三回桜が咲くまで、それを目にすることができたら、どんなことだってするのに。どうかその最後の桜まで、待ってほしい。そんなに贅沢な望みではない筈。そもそも、どうして自分なのだ・・・どうしてどうして・・・・・誰か、誰か代わってほしい。奪えるものなら奪ってしまいたい。お願い。お願いです。どうか、誰か代わってください。命を、私にください・・・・・
少女の目からは涙がこぼれていた。願いと共に流れる雫に、桜のひとひらが寄り添った。