小説

『子捨て山』中杉誠志(『姥捨て山』)

 やさしい魔女のおばあさんは、そっと若いお母さんに近寄りました。それから、自分の腕に抱いていた赤ちゃんを、若いお母さんのほうに差し出して、こういいました。
「この赤ちゃんには、魔法をかけておいたからね。しんどい子育てが、少しだけ、ほんの少しだけ、楽になるような魔法をさ。それでもどうしようもなくなったときは、今度はちゃんと、周りの人の助けを求めるのだよ。早まったことをしてはいけないよ。いいね?」
 若いお母さんは、子供のようにウンウン泣きながら、何度も何度も強くうなずきました。赤ちゃんを産んでから初めて他人からやさしくされて、ありがたくて、わんわん泣きました。赤ちゃんは、そんな若いお母さんをじーっと見ています。
 やがて、魔女が現れたときと同じように、風もないのに木がざわめきます。やさしい魔女のおばあさんは、いつのまにか、煙のように消えていました。深い山のなかを、月の光が白く照らしています。
 前にも書きましたが、ここはかつて、姥捨て山でした。えらいひとが勝手に決めた決まりのせいで捨てられていく、老人たちの最期の場所だったのです。そしてきっと、わが子が罰せられないために、おとなしく捨てられていった老人たちの、子を想う優しい心が寄り集まって、いつしかやさしい山の魔女になったのでしょう。
 気がつくと、空の端には朝日が輝いていて、深い山のなかに光が射し込んでいます。それでもまだ、若いお母さんは赤ちゃんを腕に抱いたまま泣いています。
 ふいに、赤ちゃんが、小さな口を開いて、小さな声を発しました。
「マーマ」
 お母さんは、それを聞いて驚きました。泣くのも忘れて、呆然と赤ちゃんを見つめ返すと、赤ちゃんはもう一度、今度ははっきりとした声で、お母さんに呼びかけました。
「マーマ」
 それまで、ずっと泣いたりぐずったりするだけだった赤ちゃんの口から、その一言を聞いた瞬間、若いお母さんの胸は、熱く、熱く、熱くなりました。そうして、思わずぎゅっと、赤ちゃんを抱きしめました。
「……そうだよ、ママだよ。わたしが、ママだよ。ごめんね、ごめんね、あなたのこと、捨てようとして、ごめんねぇ……」
 若いお母さんは、またまたポロポロ涙をこぼし始めました。反対に、赤ちゃんは、若いお母さんの腕のなかで、「マーマ」「マーマ」と、楽しげに繰り返します。
 若いお母さんは、赤ちゃんから「マーマ」「マーマ」と呼ばれるたびに、これからも続くしんどい子育てが、少しだけ、ほんの少しだけ、楽になるような気がしてくるのでした。

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