小説

『子捨て山』中杉誠志(『姥捨て山』)

 若いお母さんは怖くなって、立ち上がると、回れ右をしました。すると、そこに誰か立っていたのです。足音だってしていないのに、いきなりです。若いお母さんはびっくりして、短い悲鳴を上げました。
「きゃっ!」
「なにを捨てたね」
 その誰かがいいました。ひどくしわがれた声でした。月明かりに照らし出されたその顔を見ると、しわくちゃのおばあさんでした。若いお母さんはびっくりしすぎて、今度は声も出せませんでした。
「おまえ、なにを捨てたね」
 おばあさんはもう一度いいました。若いお母さんは、震えた声でやっと答えました。
「わ、わたし……なにも……捨ててません」
 そうして、赤ちゃんを拾い上げて帰ろうと、木のほうを振り返りましたが、どうしたことでしょう、そこに赤ちゃんはいませんでした。かわりに赤い、大きな柿の実がひとつあるだけです。若いお母さんが混乱して、あたりを見回していると、後ろから、意地悪そうな笑い声がきこえました。
「ひっひっひっ。わしはこの山に住む魔女じゃ。おまえが捨てた赤子は、柿に変えてしまったぞい。元の姿に戻して欲しくば、ひと月のあいだ、わしのところで働け!」
 そういわれて、若いお母さんは目の前の柿に目を向けました。いわれてみると、なんとなく自分の赤ちゃんに似ているような気がします。どうしてそんな気がしたのかというと、怖いのです。いつ泣き出すかわからず、一度泣き始めたらなかなか泣き止んでくれなさそうな感じがするのです。それで若いお母さんは、魔女に向き直って、か細い声でいいました。
「元に戻してくれなくて、いいです……」
 だって、自分で山に捨てて死なせてしまうと、保護責任者遺棄致死罪に問われてしまうかもしれませんが、魔女に柿に変えられてしまったものは、しかたがありません。赤ちゃんがいなくなっても自分のせいではなくなるのだから、若いお母さんにとって、こんなに助かることはありません。
 ところが魔女は、そのしわがれ声を荒らげて怒鳴りました。
「やかましい! とにかく働くのだ! さもなければ、おまえも柿にして食ってしまうぞい!」
 結局、若いお母さんは魔女のところで働くことになりました。自分まで柿にされてしまってはどうしようもありません。
 さて、魔女のところでは、若いお母さんは小さな部屋を与えられ、そこで仕事をすることになりました。いろんな仕事があるようでしたが、この若いお母さんは縫い物が得意だったので、そういう仕事に回されました。神社なんかで売っている、御守り袋を縫う仕事です。それも、皮肉なことに、安産祈願の御守り袋を縫う仕事でした。
「毎日これだけ縫わないと、飯は抜きだよ」

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