小説

『常春の国』金子葵(『桃花源記』)

 弁天が目を細めて呟いた。
「さあ耳を澄まされよ。春が来たるぞ。」
 えびす顔の「恵比寿」に促され、ツキコは目を閉じて音に聞き入った。

  とんとんとん   とんとんとん

 春風と雨音で、目を閉じた暗闇の中に春が広がっていくようだった。

とんとんとん  
     ととん トン 
トントン トン

 雨粒の音が少しずつ鮮明になってきたので目を開けてみると、白い仮衣の青年が鼓を打っている。雨は上がっていた。

ピィオウ ピィオウ   
ヒョウヒョウヒョウ

 どこからか笛の音もこだましてくる。白梅の後ろから、横笛の青年が現れて鼓の隣に座った。引き続いて笙、篳篥、鉦鼓が加わり、いつの間にか琴と筝まで据え付けられている。
 楽隊の音が一揃いすると、白梅はいっそう咲き誇り満開になった。
「おや、桃はまだ咲かぬか。」
 脇にある枯木の郡を見て、福禄が言った。
「ひと押し足りませぬな。」
 風神が答えたところに、神の内の誰かがくちずさんだ。

 春の苑紅にほふ桃の花 下照る道に出立つをとめ

 歌を詠み終わると、いっせいに大輪の桃が咲き誇った。実は周囲が一面の桃林だったようで、雲に包まれたかのように視界のすべてが桃色になった。神々が湧き立つ。

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