小説

『常春の国』金子葵(『桃花源記』)

「梅もよい、桃もよいわ。」
「毎年のこととて甲乙つけがたい。」
 お囃子が鳴りひびき、花見ににぎわう中から、弁天がにこにこと目を細めながらツキコに近づいてきた。
「さあ、お主の支度じゃ。それ、その乳をおくれでないか。」
 弁天は長い指をしならせて、ツキコの胸元を指差した。
「えっ? 母乳ですか?」
 弁天はツキコの狼狽には頓着せず、指で宙をつまむ動作をした。スーツの胸元が開いて光輝き、天を突くような勢いで白い乳が吹き出した。吹き出た乳は噴水のように広がって、大きな水たまりを作った。ツキコは、あまりの勢いに唖然としながらも、身の内のよどみがなくなって軽くなっていくのを感じた。
 弁天の琵琶にしぶきがかかり、見る間に虹色の螺鈿に姿を変えた。
「春のことほぎに、新たな装いよ。さあご覧じろ。」
 じょうじょうと琵琶を奏で始める。
 琵琶の音が始まると、神々からまたも歓声が上がった。声の方を見ると、雨粒が落ちていた桶の上で、踊り子が軽やかに舞っていた。あちら向き、こちら向き、やわらかな薄絹をひるがえして蝶のように舞う。白いかかとで桶を踏むと、鼓と呼応する軽妙なリズムがこだまする。

 遊びをせむとや生まれけむ 
 たわむれせむとや生まれけむ

 神々の唄いと共に、乳汁が浸みた地面から、タラの芽、ぜんまい、ふきのとう、蕨・・・、無数の山菜の芽がみるみる吹き出して、伸び盛った。
 大地は、荒涼とした白砂から水気を含む黒土へと変貌し、足先を、透き通るような色の青虫が通る。山菜の生えた周辺も次々と芽ぶき、水仙、菜の花、芥子にれんげ、沈丁花に白木蓮、色とりどりの花が鮮やかに咲き乱れていく。春爛漫の景色が広がっていた。
「さても目出たい。宴の支度じゃ。」
 太い声が聞こえ、黒髪の巨体「大黒天」が立ち上がった。手にしていた小槌を振ると、餅に肴に果物、次々と食べ物が現れる。今度は横に大きな「布袋」が、持っていた袋に手を突っ込み、豪奢なシノワズリの椅子やテーブルを、ずるりずるりと引き出していくのだった。 
「器も良くなければいかん。」

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