小説

『常春の国』金子葵(『桃花源記』)

 霧がさらに開け、真黄色の、愛らしい丸い花弁の蝋梅が、みずみずしく咲き誇ってそこに現れた。
「春を告げる花よ。」
 福禄寿は目を細めながら言った。
「花が開けば、ササが欠かせぬ。」
 恵比寿が袂から徳利を取り出すと、蝋梅の下枝の花がじわりと溶けて流れ落ち、そのまま黄金色の池ができた。池からは芳醇な香りが立ち上る。 
 恵比寿が池の水を汲み、ツキコの方へ差し出した。すすってみると酒の味がする。長らく酒を飲んでいなかったので、腹の中が熱くなるのを感じた。
「次は白梅か。」
 寿老人が呟くと、後方で大柄の男が立ち上がった。ツキコは少しどきりとした。頭に生えた角、ぎょろりとした目に牙が出た大きな口、鮮やかな緑色の肌。男は凄みのある「鬼」の風貌であったのだ。ここは、まったくもってこの世ならぬ世界である。しかしツキコはなぜか、怖れや疑いの感情を感じることができなかった。
 鬼が、手にした大きな袋の口を開けると、湿気を含んだぬるい空気がビュウッと吹き出し、強張ったツキコの体をあおった。身を閉じて風圧に耐えながらも、彼女はその暖かさに体の内側がほぐれていくのを感じた。
― これ、春風だ・・・
 そう理解すると同時に、目の前の7人が「七福神」であること、そして袋を持った緑鬼が「風神」であることが、急にはっきりと得心せられた。寿老人、福禄寿、恵比寿・・女性は弁天、武人は毘沙門天。あとの二人は名は何だったか。
 風に霧が開けると幾本もの白梅が姿を現し、清廉な花弁を空に開いていた。七福神の後ろには、大きいのやら小さいのやら、人に近い姿からそうでないもの、実に色々な姿をした「神々」が集っていた。
引き続いて、「風神」によく似た白鬼がぱらぱらと太鼓を打つと、空が掻き曇り、雨粒が落ちてきた。冷たさを感じない雨だった。

とん、 とんとん  
とんとんとん 

 見れば白梅の根元に桶が伏せてあって、枝から落ちた雨粒が小気味よい音を立てている。
「春の音じゃ。」

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