「ああ、これ」
声の主は、ボールを拾うため一歩前へ進んだ。そこでようやく、私は相手の顔を認識できた。
「はい、気をつけてね」
彼が、拾ったボールを私に渡そうとした。
「いえ、大丈夫です」
しかし、私はそれを受け取らなかった。
「ボールをよく見て下さい」
「……ああ」
彼は薄い暗闇の中、宝石を吟味する職人のようにボールを凝視すると、納得したような声をあげた。
「今日、見に来てくれてたんだ」
「はい、橋本さんに誘われましたので」
「そういえばこの前、橋本さん言ってたっけ。図書室で後輩に勉強教えてもらったって。話を聞いたときは先輩が後輩から勉強教わるのってどうなんだよって思ったけど」
表情はよく見えないけれど、彼が笑っているのはなんとなく分かった。
「今日の俺、どうだった?」
「すごかったです。見入ってしまいました」
「ありがと。ところで、一つ質問したいことがあるんだ」
彼は手にとったボールを見つめたまま質問を続けた。
「いつから俺のことに気がついてたの?」
「いつから?」
質問の意味が咄嗟に分からず復唱してしまったが、やがて聞きたいことが分かった。
「学校で初めて見たときからです」
私はゆっくりと、昔を思い出しながら慎重に言葉を発する。
「登校中、朝の練習でボールを投げているあなたを最初に見たときから気づいていました。小学生のころは私より小っちゃかったはずなのに今はこんなにおっきくなっていて、本当に驚きました」
現在、私は首を上方へ傾けながら話している。二十センチは身長差がありそうだ。
「そっか。俺は名簿で片山の名前を見るまでは気づかなかったな」
「今日、そのボールを持ってきて良かったです。ようやく渡すことができました」