小説

『吾輩は21世紀の猫である』次元(『吾輩は猫である』)

 最後に主人は未読のついていない「わろち」という人物のラインを開く。トップの画像が変わっている事を目ざとく発見したからである。このあたりの呼吸は「髪型変わったね」に相当する。即ち気づいてやるのが男の甲斐性である。その画像というのが、昨今のアニメーションから切り抜いてきたものと思われる。水彩画風の全体的に淡い色調の教室があり、授業風景であろうか、頬杖をついて窓の外を眺める男子学生が大写しに描かれておる。竹久夢二の女性のごとくその瞳はアンニュイな色を浮かべている。特筆すべきは男性の緑色の髪だが、驚く勿れ、一部のアニメに於いてはこの髪の色こそ、その人物の凡そ全てが凝縮されておると言っても過言ではない。主人は全く同じ顔が五つ六つ並んで、異なるのはそれぞれ奇抜な髪の色のみ、そんな図を見せられて「この人が一番イケメンだよね」とJKに指さされ、返答に窮した経験があるらしい。
 アニメ絵にも歴史があって、一昔前は職人が汗水垂らして一枚一枚手で描いて色をつけておった。今は大まかな構図を除いて殆どの仕事をコンピューターが請け負っているらしい。アニメに限らず、あらゆる職種に於いてこのコンピューターというやつが人間の仕事のことごとくを奪ってしまった。人間はモニターの指示に従ってカチャカチャ指を運動させるのみであるからして、使役される奴隷に他ならぬ。ニートの流行する道理である。
 主人はその美少年の画像を見てすぐに軽い調子で「わしのアニメ化かな?」と書き込んで「俺もそう思う」と黄色いアメーバーみたいのが口を大きく開けている珍妙なスタンプを貼り付けた。と、すぐさま返事が来た。
「やめてくれまじで私の旦那はもっとかっこよくて心も綺麗なんだ」
「はーい、とりあえず超清楚で細マッチョになってから言ってくださーい」
 読んでいる間にも次のメッセージが来る。吾輩の経験上、女性が突然敬語を使いだしたら怒っている証左である。この返答は主人にとって頗る意外であった。何故ならこの「わろち」という人物はつい先ごろまで主人の一番お気に入りの生徒であったからだ。今月ついたちに目出度く卒業式を終えたばかりで正確には未だ高校に籍を置いておる。吾輩の描写力が貧弱なことを恥じ入るばかりだが、小さくて可愛らしい子である。然し乍ら、実際これ以上表現しづらいほど、実に模範的に「小さくて可愛く」造形された容姿である。特筆すべき点が無いのは美点なのか欠点なのか判断がつきかねる。世に美人佳人と賞揚される者にはなにかしら個性的な部位を持つのが慣いであろう。けだし趙痩楊肥の如く身体的特徴を挙げようにも、重ねて述べておる通り一般よりいささか小さいという位である。真作で迷亭君の言っておった「月並み」という言葉を捧げるのは酷であるし、「十人並み」と言っても物足りぬので、「百人並み」くらいが相場であろうか。この百人並みのJKが何故か四十の主人の事を好いておって会うたびに欧米女性のごとくに抱擁してくる。他の教員が見ている前でも平然とハグするので主人は困った顔をしている、が内心満更でもないのは言うまでもない。
 ただし教師を疑似恋愛の対象にするのはJKにはよくあることである。主人もそのあたりは重々承知しておる。なんとなれば過去に何度も痛い目を見ているからである。好き好き言っていた子が卒業周辺になると魔法が解けたように自分に対して興味を失う。そんなことを毎年繰り返して、主人の人格はJK嫌いの方角へと陶冶されていったかと言うとそうでもない。何度裏切られようが若い子が好きなのはもはや病気であろう。

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