小説

『なでしこの花』羽矢雲与市(『酒呑童子』)

「鬼の呪いでしょうか。このような浅ましい姿となっても死ねません。ご慈悲です。どうか私を殺して下さい。父母に見られたくありません」
 なでしこがあらためて懇願しますと、頼光は手を合わせて経文の一節を唱えました。
 しばらくすると静かに面を上げ、「望みを叶えて差し上げるように」と綱に申し付け、再び経文を唱えます。なでしこも手を合わせてこうべを垂れるのでした。
 綱が髭切の太刀を振り下ろすと、首が地面を転がりました。頼光の郎党(ろうとう)が拾い上げ、水ですすいで汚れのない布で包みます。娘は穏やかな表情で目を閉じておりました。

 人食い鬼を退治して姫君達を取り戻した源頼光は、翌日の昼に京へ戻ると内裏(だいり)に参上します。帝の覚えもめでたく、沢山の褒美(ほうび)が下賜(かし)されました。人々は「さすが源氏の頭領よ」と称賛します。
 主人の供で宮中に上った渡辺綱は、襟(えり)に撫子の花を挿しておりました。なでしこが髪に挿してあったのを請い受けたのです。
 公家達に口々に誉めそやされながらも、綱は昨日のことを思い返していました。仁王丸となでしこは生き延びているのだろうかと、遠く因幡の国へと思いを馳せます。

 仁王丸が綱と対決している時、楼門では守天が思わぬ苦戦をしていました。源頼光の太刀に内腿を抉られ、苦痛で顔が歪みます。
 つまらぬ役を引き受けたものよと思っていると、仁王丸の身に危害が加えられた感覚が伝わって来ました。
 急いで楼門の上に飛び乗ると、屋根を剥がして敵に投げつけます。立ち昇る埃がおさまった時、鬼神の姿はどこにもありませんでした。
 守天は空を飛び、廟堂の前に降り立ちます。仁王丸の左腕は手首から先が失われ、血が滴り落ちておりました。止血する渡辺綱を、「無用だ」と押し退けています。
「仁王丸よ、儂の主人よ。顔色が悪いぞ、真っ青だぞ。左手はどこへやった? 血が流れておるぞ、誰が切った」
 なでしこが泣きながら、傷口に布を当てています。
 廟堂の陰で決闘を見ていた彼女は、彼が己を犠牲にして自分を助けようとしていることを知り、気が動顛しました。気が付くと地面に落ちた刀を拾い上げ、綱に斬りかかっていたのです。止めに入った仁王丸は刃を受け、左手首を切り落とされてしまいました。

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