「そなたはそれを恨みに思うか」
「思わない。それが武家というものであろう。だから、こうして頼んでいる」
彼が京(みやこ)で仕事を始める前、里の者に言われたのです。「帝(みかど)には勝てぬ」と。どんなに強い力を持っていても、個人では国に勝てる道理がありません。
「なでしこは公家(くげ)の女(むすめ)だろう、なぜ京に戻らない」
「出会った時にあいつは、『自分をさらうか鬼に喰わせてくれ』と乞い願った。貧しさのあまり人買いに売られようとしていたからだ」
仁王丸が食いしばった歯の間から言葉を絞り出すと、豪勇を誇る渡辺綱も声を失ってしまいました。没落した公家が女を遊女として売ることがあるとの噂は聞いていましたが、まさかと思い信じていなかったのです。
「承知した。貴公の首だけを京へ持ち帰ると約束する」
綱の言葉に仁王丸は首筋に当てた刀を緩めます。
彼が立ち上がると、横合いからなでしこが飛び込んで来ました。手には髭切の太刀が握られています。彼女は体をぶつけるようにして、斬りかかりました。
四半刻(しはんとき)ほど後、源頼光と四天王が鬼を探して寺の奥へとやって来ました。僧坊で姫君達や他の人々を無事に保護して来たのです。彼らを呼ぶ綱の声を頼りに廟堂にたどり着くと、そこには凄絶な光景が広がっておりました。
全身に血飛沫を浴びて立つ綱の足元には、恐ろしい形相の鬼の生首が転がっています。右手に持つ源氏の宝刀・髭切の太刀にはべっとりと血糊がつき、その切っ先は彼の足元に座り込む色白の娘に向けられておりました。梳(くしけず)られたぬばたまの長い髪には、一輪の撫子が挿さっています。
声を掛けようとした頼光は、彼女が座っている血の池を見て仰天しました。
「目を覆う惨たらしさとはこのことよ」
彼女の股と内腿は失われ、肉が露わになっていたのです。
「源頼光様とお見受け致します。お願いでございます。私を殺して下さい」
なでしこが語るところでは、先ほど手負いの人食い鬼が飛んで来て、「傷を治すために血と肉をよこせ」と言うなり彼女を捕らえました。肉を喰らい、傷口から流れる血を啜ったのです。
鬼はその最中に、駆けつけた渡辺綱に首を切り落とされて絶命しました。胴体は首が離れた後、そこら中を走り回って、しばらくするとどこかへ消えてしまったそうです。
源頼光は文武に秀でた武門の頭領です。おぞましい光景に心のうちを震わせながらも、顔色一つ変えずに話を聞きました。