気が付けば白い肌は陽に焼け、短く切った髪、細い肢体と相まって、まるで少年のようでした。
見かねた仁王丸が、仕事の褒美に絹の単衣(ひとえ)や櫛(くし)などを持ち帰ったことがあります。なでしこは目を輝かせましたが、「私には無用のもの」と櫃(ひつ)にしまい込むのでした。
「文(ふみ)を書くことを許して下さい」
気丈に振舞ってはいても、山奥の生活は寂しく心細いのでしょう。彼女は同い年の「桃子」という姫君に宛てて、短い手紙を認めました。
仁王丸は邸に忍び入って寝所の縁へ文を置きます。次の晩、桃子姫は返事を庭の木の枝に結びつけておりました。
手紙にはとんでもないことが記されていました。桃子姫も家を出たいと言うのです。
彼女には初老の夫が居ましたが、没落した貴族の子弟と恋仲でした。哀しいことに二人は縁を結ぶことが出来ません。ならばいっそ京を出たいと思ったのでした。
仁王丸には迷惑な話です。なでしこと彼の意見は対立しました。
守天が「痴話げんか」と呼んだ二人の言い争いはひと月ほども続きましたが、最後は彼が折れ、なでしこと京へ行き桃子姫を連れて来ました。
桃子姫は公家の女らしく仕事は一切しようとしませんし、身の回りのことさえ一人では出来ません。どういうわけか洗濯だけは最初から好きで、上手でさえあったので、洗濯ばかりをさせておきました。
なでしこみたいな女が増えたらどうしようと云う心配が外れて、彼が胸を撫で下ろしておりますと数日後、狩衣(かりぎぬ)姿の公達(きんだち)が訪ねて来ました。桃子姫の思い人です。彼女の残した和歌を頼りに山中をさ迷った末、やっとたどり着いたのでした。
何日も食事をしていないと言う若者が、なでしこの出したそば粥を貪り食う様を見て、仁王丸は今まで感じたことのない気持ちを覚えました。
公家のする恋だの歌だのには全く興味がありません。恋愛のために危険を冒すなど馬鹿馬鹿しいと考えています。ところが本当に命懸けで思い人に会いに来た男を目の前にすると、粥を掻き込む姿でさえ神々しく見えるのでした。傍らではらはらと涙を流す桃子姫の姿に、彼の心はさらに揺さぶられます。
俺も女を好きになり、命を懸ける事があるだろうかと考えずにはいられません。なでしこが急にこちらを向いたので、思わず首を振ります。ありえない話です。
「公家の遊びに付き合っていられるか」
影の中から忍び笑う声が漏れて来ると、仁王丸は思いきり足元の地を踏みつけました。