小説

『主よ、人の目覚めの喜びよ』微塵粉(『三年寝太郎』)

 そのうちおれの中に、微かな希望が兆した。今回が、今回こそが本当の目覚めではなかろうか。こんなことは今までの「ループ」には無かった。もしかしたらユキアは救世主なのかもしれないな。そう思い始めていた。
 実際に、救世主とは言い過ぎかもしれないがユキアは献身的におれを支え続けた。彼は小さなスナックを経営しているらしく、仕事は夜からだから、とほぼ毎日、日中のリハビリに付き添ってくれた。病室では巧みな話術でおれを笑わせ、これが若くて美しい女性だったら言うことなしだったなあ。そんな思いが何度も頭の中で反芻された。おれが彼をまるっきり忘れてしまっていることは、二人ともなんとなく口にしなくなっていた。

 
 数週間が過ぎ、翌日に退院を控えた夜、おれは思いたってユキアを呼び出した。彼はわざわざ仕事を休んでおれのもとへ駆けつけてくれた。
「どうしたのお。あたしぐらいに顔色が悪いわよ。明日は念願の退院だっていうのにっ」
「聞いて欲しい話がある」
「なあに」
「頭がおかしいと思われるのが怖くて誰にも話してない事なんだけど、聞いてくれる」
「もちろんよお」
「ループ」の話をおれは初めて他人に打ち明けた。最初は笑って聞いていたユキアも、おれの様子を察してか徐々に神妙な顔つきになって相槌を打った。話し続けるうちにおれの目から涙が溢れるのを見て、彼はレースのハンカチを差し出した。ハンカチには噎せ返る程のラベンダーの香りが染み付いていて、実際に噎せた。噎せながら思った。おれは怖くて、寂しくて仕方なかったんだ。
「じゃあ明日も何かしらの危険にさらされる、ってわけね。怖いわあ」
「そうなんだ。それが怖くて無理に呼び出してしまった」
「けどだいじょぶよお。今まではその『ループ』にあたしは登場しなかったんでしょ。今回はあたしがいるんだもん。タロちゃんを何としてでも助けるわよ」
 ユキアは丼サイズの力こぶを隆起させた。確かに心強かった。
「ありがとう。……あと、ひとつだけ聞いておきたいんだけど。おれと君とは、その、肉体関係はあったのかな」
「なあに急に。いやらしいっ」顔を赤らめている。
「いやあ。おれの記憶に障害があるとしても、やっぱりおれは女性しか性的対象として考えられないんだよ。今が本当の現実だとしたら、そこははっきり知っておきたいんだ。おれと君がどういう恋人同士だったのか」
 二人ともしばらく黙った。やがてユキアがさっぱりとした口調で言った。

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