小説

『主よ、人の目覚めの喜びよ』微塵粉(『三年寝太郎』)

 また、戻ってきてしまった。
「大丈夫。わかるよおかあさん。おはようおはよう」母の手を適当に握り返しながら、おれは考えを巡らせていた。

 給食会社で配送の仕事をしていたおれは2016年の春、事故にあった。対向車線の大型トラックに正面衝突され、その後三年間意識不明で眠り続けていたらしい。三年ぶりに目覚め、懸命にリハビリをし、晴れて退院となったその日に、またも事故にあって意識を失った。目覚めた時には同じ病室で、三年も眠っていたのだと、母がおれに告げる。日付を確認すると2019年。いつも、2019年なのだ。
 それをかれこれ数十回は繰り返している。
 ああ、これはなにか変な「ループ」に迷いこんでしまったのだ。元々SF映画や小説が好きだったおれはすぐに悟った。
 退院日におれを襲う災難は、実にバラエティーに富んでいる。ダンプカーをはじめ、消防車、霊柩車、ブルドーザー、あらゆる車種がおれめがけて突っ込んで来た。衝突の瞬間はいつも脳裏に「はたらくくるま」のメロディーが流れる。ビルの看板が強風で飛ばされて頭に直撃したこともあるし、大地震によって生じた地面の裂け目に呑み込まれたこともある。どんな手段を使ってでも、決して退院させまいという、神の意志を感じる。
 最初のうちは案外気楽なもんだった。夢を見ているようなもんだろう。いずれは真の目覚めがやってくるさ、と楽観的に「ループ」を捉えていた。
 しかし延々とした繰り返しの中でそんな気楽さにも翳りが見え始める。
(おれは、実は死んでしまっているのではないか)(それにしたって、なんでこんな仕打ちを受けなければならないのだ)(そもそも、2016年に事故を起こしたっていうのは確かなのか)(おれの記憶が改竄された可能性は)(おれは、本当におれか)(この繰り返しが永遠に続いたら……) 
 こわいこわい誰か助けてくれ
 発狂してしまう前になんとしても「ループ」から抜け出さなければ、とあらゆる手段を試みた。誰にも告げず深夜に病院を抜け出したり、無理を言ってガードマンを雇ってみたりしたこともある。だがいずれも抵抗むなしく災難はおれを襲い続けた。最終案として考えていたのが、飛び降り自殺だ。受動的なアクシデントではなく自ら「死」に飛び込んでいく事で、なにかしら違う事象が起こるのではないか、と考えた挙げ句の策だった。というか、もう死にたかった。永遠に同じ目覚めを繰り返すより、いっそ目覚めてくれない方がどんだけましか。
 でも、死ねなかった。失意にくれながらも、どこかほっとしたような妙な心持ちでおれは泣いている母をぼうっと眺めていた。
「ああ本当に良かった。そうだわ。先生を呼んで、みんなにも連絡入れなくちゃ」
 しばらくして、主治医の吉岡と看護師の三枝亮子がばたばたと病室へ入ってきた。

1 2 3 4 5 6 7 8