小説

『われ太陽に傲岸ならん時』末永政和(『イカロスの墜落』)

「勘違いするな。ダイダロスを殺してやろうかと言っているのだ。私とて、やつに恨みがないわけではない。それにやつは、きっとお前を置いていくぞ」
 言われなくても分かっている。ダイダロスにとって、イカロスなど無用の長物にすぎないのだ。だからといって、偉大なる父を死なせることなどできるはずがない。太陽なくして、影は存在できないのだから。何も言えず、イカロスはむなしく唇をかむばかりだった。
 闇が深まるにつれて、沈黙も重みを増していく。やがて星々が瞬き始めると、「冗談が過ぎたな。もう立ち去るが良い」とミノタウロスは言った。今日は珍しく気分がいいが、いつまた正気を失うか分らない。このまま相対していれば私はお前を殺してしまうかもしれない。

「たまたま俺は、人間の姿をして生まれてきただけなのだ」
 暗い廻廊を進みながら、イカロスは独り呟いた。奴隷のような自分と、家畜のような姿で生まれて来たミノタウロスと、いったいどれほどの差があるだろうか。結局は愛情を得ることなく、この出口のないラビュリントスに縛り付けられているではないか。
 ミノタウロスと遭遇したことを伝えると、ダイダロスはひどく興奮して詳しくを聞きたがった。
「どうだったのだ、俺が生み出した化け物は」
 口の端に泡をためて眼をぎらつかせる父の姿は、浅ましく醜いばかりだった。「殺してやろうか」というミノタウロスの一言は伏せておいたが、予想だにしなかった怪物との遭遇によって、イカロスの存在価値は高まったものらしい。そのときから少しだけ、ダイダロスの態度に変化が生じた。

 ほどなくして、二対の翼が出来上がった。手に取ってみると見た目に反して軽く、自分の体をまともに支えられるとは思えなかった。しかし不安を顔に出すわけにはいかない。ダイダロスの機嫌を損ねれば、独りこの迷宮に置き去りにされるかもしれない。
「海面には決して近づくな。湿気で翼が重くなり、蝋が剥がれ落ちる。太陽にも決して近づくな。蝋が熱で溶けてしまう」
 ダイダロスの忠告は、この二つだけだった。飛び方も何も教えることなく、ダイダロスは颯爽と物見台から飛び立った。降下していくように見えたが、すぐに風をとらえて滑るように遠ざかっていった。もともと飛び方を知っていたかのように、その飛翔は鳥そのものであった。
 どうせ失うものなど何もないのだ。イカロスは意を決して、欄干から身を躍らせた。必死に目を見開き、両腕を千切れんばかりに伸ばした。恐怖に身を縮こまらせれば、翼は風をとらえきれず墜落してしまう。俺は鳥になるのだと、無我夢中で自分に言い聞かせた。

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