小説

『彼女のせいで』柿沼雅美(『孤独地獄』)

 小学5年の頃、親友と公園で遊んだ帰り、ちょっとエロい本が歩道に落ちていて、僕か親友の片方が見張りながらもう片方がグラビアのページを見る、というのを交互に続けた日があった。
 その雑誌が、父親のカバンから覗いていたものと同じ名前だった気がして、両親が弟を連れてスーパーに行くと言った後日に、こっそり父親のカバンを開けたことがあった。
 テレビドラマで指紋が残るのを知っていたから、たしか台所のゴム手袋をはめた。大人用のゴム手袋は指先が余って指を動かしにくかったが、ギュッと指を突っ込んで、カバンを漁った。やけにしっかりとチャックが閉じられていたカバンは、探った底のほうにやっぱり雑誌が入れられていた。
 僕は自分の心臓の音が脳に上がって響くのを気にしないようにしながら、誰もいない家の中を一回見回し、雑誌をそっと抜き出してページをめくり、目に焼き付けた。そして、荒くなってしまった息を止めて、元通りの形にきちんとしまった。
 すると、カバンの内側のポケットのひとつのチャックが厳重に閉められているように見えて、気になって開けた。そこには、薄いピンク色のレースのパンツが入っていた。ベランダにさらされている母親のものとは明らかに違う、布の薄いレースの目の荒い下着を見た僕は、思いっきり突き飛ばされたような感覚になった。
 父親は、父親であって父親でない、そう思った。もしかしたら、母親も、母親であって母親じゃないのかもしれない、そう思った。
 その日、スーパーから帰ってきた両親を、僕はテレビを見ながら背中で迎え、しばらく他人の家にお邪魔している気分にさせられた。
 そしてもっと昔、幼稚園くらいの頃、それこそ僕は孤独をひどく怖がっていたのが思い出された。それが孤独への恐怖だとはもちろんその頃は知らなかったけれど、今気がついてしまった。アカネが言っていることはこのことかもしれなかった。
 まだ母親と父親と弟と並んで寝ていた頃だ。僕は毎晩無性に不安だった。寝転んで見える天井の染みがなにかの顔に見えて、目を瞑るのに必死だった。
 それと同じくらい目を開いて両親の掛け布団が上下するのを確認するのに必死だった。両親の息が止まってしまうんじゃないか、そんな不安が全身に溜まっていた。暗くて確認できないときには、寝相が悪いふりをして近づき、顔に耳を近づけて息をしているか確認することもあった。全神経を人差し指に集中させて、寝ている両親の鼻の下に触れない様に細心の注意を払って近づけて、呼吸をしていることを確認したこともあった。
 優に、つい最近の出来事のように、その風景が浮かび上がり、僕は急に怖くなって、カフェの席を立った。少しでも落ち着くところへ、と、窓際の木漏れ日が注がれている席に移動した。座ったとたんに窓越しの陽で肌が暖かさに包まれていく。
 それでも、蘇った怖さは消えてくれない。

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