小説

『彼女のせいで』柿沼雅美(『孤独地獄』)

ツギクルバナー

 僕はまだ彼女の苗字を知らない。
 彼女は、ミスHNというまだまだ一般人だけど目をひくハンドルネーム(HN)のアイドルを発掘するという企画で、ネット投票によって上位5位に入った子だった。
 教室で、アカネ、と呼ばれてふり返っていたから、名前は茜かな、と思っていたら、名前は紅に音と書いてアカネなんだと教えてくれた。僕は自分を斎藤亮介とちゃんと伝えた。
 a.k.a音、という奇妙なハンドルネームで、イベントなどでは音ちゃんと呼ばれているらしかった。大学生なのに下手したら中学3年生といっても疑われないような子供っぽい写真ばかり載せていた。
 紺色の制服に赤いリボン、オフホワイトのニットに黒のダッフルコートを来て、髪をツインテールにしていた。セーラー服を着ていても髪にはバレッタをつけていたり、手にはクマのぬいぐるみが提がっていたり、私服も子供っぽいデザインのものばかりだった。童顔と身長の低さで、とても大学で文学専攻をしているなんて見えない写真が並んでいた。
「よく私があれって気づいたね、前から気づいてたの?」
「いや、同じ講義をとってるのはさっき知った。たまたま近くに座ったから」
「そうだったんだ。てっきり見て知ってくれたのかと思ってた。っていうか前一回話したことあるよね」
「え、そうだっけ? じゃあ俺がおぼえてなかったんだ、ごめん」
「いいよいいよ。なんかネットに出て来たから隣に座ってみたとかだと困るし。っていうかこの講義、毎年受ける子多いよね、いろいろラクでいいよね」
 アカネがリアクションペーパーを書き終わったのを見て、一緒に講師に提出しにいこうと手を出すと、ありがと、と言って紙を僕に託した。
 写真の印象とはちがって話し方は普通の大学生で、どちらかというと他の女子たちよりもきゃぴきゃぴしているわけでもなかった。
 演台に重ねられた学生たちのリアクションペーパーの上に自分のものとアカネのものを置くと、早く教室から出たい学生たちが次々とその上にまた用紙を重ねていった。
「ね、あれ毎年おんなじなんだよ」
 アカネの言葉に、なにが? という顔で返した。
「板書。先輩からもらったノートと全く同じなの。テキスト変わんないから毎年同じ授業なんだねきっと」
「へー、去年のノート持ってるんだ。じゃあもう来週から芸能活動で授業でなくても大丈夫じゃないの?」
ちょっといじわるな言い方をしてみたら、アカネは慣れたふうに笑う。

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