小説

『真冬のセミ』羽賀加代子(『アリとキリギリス』)

この林の向こうに綺麗な湖があること。木によってそれぞれ蜜の味が違うこと。トンボと喧嘩したこと。カラスに追いかけられ、命からがら逃げ切ったこと。素敵な女性と恋に落ち、夫婦の契りを結んだこと……。
どの話もアリとキリギリスにとっては新鮮で、輝いていた。
「ありがとう。セミさん。何だか私も旅した気分になれました」
「ご満足頂けましたか?」
「もちろんです」
アリがそう答えた時、セミの頭がゆっくり下がっていった。
「セミさん?」
キリギリスの目から涙が溢れた。
「ありがとう」
アリがセミの肩を優しくさすると、セミは少し微笑んで静かに目を閉じた。

 
「今年の冬は豪勢だね、キリギリスくん」
「そうですね」
「どうだい? この目玉なんて最高だよ」
「本当ですね」
アリはセミの目玉をボリボリかじりながら、お頭入りのスープを一口飲んだ。
「まだあるからたくさん食べなさい。明日は胸肉を柔らかく煮込もう」
「それは楽しみですね」
キリギリスはアリからよそってもらったスープを受け取ると、舌舐めずりをした。
「今年もよろしく頼むよ、キリギリスくん」
「お任せあれ」
キリギリスは右前脚を胸に当てながら恭しくお辞儀をし、得意気にバイオリンを構えると『G』の音色を響かせた。

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