父はきりこをじっと見つめる。まっすぐな瞳に、やがて静かに話しはじめた。
「もうずいぶん昔のことだ。お前が産まれる前の話だ。お前には姉さんがいたんだ。でもおれたちが育てていたわけじゃない。当時、母さんの具合がよくなくて、治すには奥に生えているであろう植物をとってこなくてはならなかった。山の奥に、どこからか物の怪がやってきたという噂があって、危険だったが、いかないと母さんが死んでしまうから迷ってられなかったよ。おれは植物を手に入れはしたが、その物の怪に見つかってしまった。身重の妻がいる、これが必要なんだ、見逃してくれと必死の思いで頼んだ。すると物の怪は、産まれてくる子どもをよこすことを条件におれを帰したんだ。それでおれの子どもが――姉さんが産まれてすぐ、物の怪に攫われていったよ。母さんはそれを気に病んでいたんだ。お前が産まれたからだいぶよくはなったがね」
「そのお姉さんは、今、どうしてるの?」
「分からない。物の怪に攫われたんだ……もう、生きてはいないだろう」
そう、ときりこは小さく頷く。
じゃあ、ときりこは思い返す。
あの真っ暗な存在の手を貫いたのは、十中八九、自らの髪であろう。一本一本が鋭い針に変化したのだ。とっさに、わが身を守るため。
では、どうしてそのようなことができたのか?
きりこの頭では、もう答えは出ていた。
「だれかいないか!」
突然聞き慣れない声がし、外へ出た。そこには二丁のかごを囲むようにして雅な装いの男たちが立っている。父と母はすぐさま地面に膝をつき、きりこも真似をした。
「わが公は夢の導きにより妻を娶りにきた。お前たちはこの山で最も奥に住む者たちらしいな? ならば、この家に妙齢の女がいるだろう」
きりこの父は頭を下げたまま声を出した。
「いいえ、この家にはわたしと妻と、ここにいる娘のみでございます」
父の言葉を聞いた男は後ろにいる人間たちと顔を合わせ、特に断ることもなく家に立ち入ったが、数分で出てきた。三人以外の痕跡を見つけられなかったのだろう。男はかごのそばに立ち、男の主に小さな声で説明した。
「では、この奥に。わが妻がいるはずだ。いくぞ」
感情のない声が、ことのほか大きく場に響く。男は一瞬黙り、はっと返事をした。そうしてきりこたちになにも言わず、彼らはただちに山の奥へと消えていった。