小説

『断ち切って、さび』日野塔子(『ラプンツェル』)

 きりこはようやく頭を上げ、はじめて見聞きした貴族というものを見つめていた。そばに付き添う男たちは疲れたような様子で、しかしおとなしく、反抗のかけらも覗かせない。かごの中にいるであろう男。あの、血の通っていないかのような声。あれがきりこの憧れた存在である。そのことになんの感想も抱けぬまま、一団が暗闇へ溶け合うのを待った。

 夕方になり、もうじき日が暮れるであろう時間に、一団は帰ってきた。きりこは膝を折る瞬間、男たちの顔を盗み見る。すると、男たちの顔からは生気が抜けていた。疲れ切っている、という様子ではない。みなが素知らぬ顔をしているのだ。奇妙に思うまま、さきの男が再度口を開いた。
「わが公の妻となるお方が見つかった」
 男の声は、かごから聞こえてきたものとそっくりの、感情のないただの音に変わっていた。
「そのお方の命にて、お前たちを屋敷へと遣わす。ついてくるがいい」
 三人は驚きのあまり身じろぎし、動きだすこともできなかった。
 尊い身分の戯れかなにかであろうか。やはり、こんなところに嫁を探しにくるほどだ、気でも狂っているのだろうか。考えていると、かごの窓がざっと開く音がした。
「きりこ、顔を上げてください」
 きりこの肩が大きく跳ねる。名前を呼ばれた本人は恐る恐る、感情が表に出ないよう努めつつ顔を上げた。だが、それはまったく無意味に終わる。かごの中には女が一人いた。男が話した、妻、となる人であろう。しかし、その顔と髪には見覚えがあった。
 髪長だ。しかし、きりこが数年間見続けていた、あの髪長とは違う。
 顔は白く、唇はひどく青かった。しかし、おとがいから伸びる三本に切り裂かれた痕には、べったりと血がこびりついている。対照的な赤黒さがおぞましく、口は閉じることもない。それなのに鈴のような声は聞こえている。瞳には生気がなく、眉はぴくりとも動かず、まばたきさえしなかった。
 ――あれは死体だ。髪長は死んでいる。蠅が眼球を歩いたところで動きはしないだろう。
「ごめんなさい。長い間、待たせてしまいましたね。でも、ね? あなたの願いは叶ったでしょう。わたしがずっと抱えていた願いも今日叶います。ああ、なんてすばらしい日なのでしょう。早く帰って、みなでお祝いをしましょうね」
 きりこは震えながら髪長を見つめた。涙がこぼれそうになったが、上を向き、耐えていた。
「髪長さま、あなたの願い、は、なんだったのですか……?」
 聞くと髪長は体を揺らして笑う。髪がさらさらと死体になっても、髪だけは、美しいままだ。きりこはおぼろげにそう思った。
「家族と一緒に暮らすこと、ですよ」

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