小説

『かえるのうたが』広瀬厚氏(『かえるの合唱』)

ツギクルバナー

 いつの時代でも子供達は自然の生き物が大好きである。どんなに文明が発展しようとも、基本それは変わらない、と願う。
 初夏、ある晴れた日、小学生の息子が近所の田んぼで、おたまじゃくしを網にすくい、バケツに入れて家に持ち帰った。
「お父さん、田んぼでおたまじゃくしとってきたよ」
「どれどれ、ほぉ、懐かしいな。お父さんも子供のころによくすくったよ」
 数匹の、いや、もっといたであろうか、しっかり数えてはいないが、兎に角おたまじゃくしがバケツの中窮屈そうに群れている。黒いぬめぬめがバケツの中うじゃうじゃしておる。
 私は家の裏の物置でほこりをかぶる古い金だらいを庭先に運び、バケツの中のおたまじゃくしを、バケツに入った田んぼの水ごと移してやった。
 水がまったく足りず、おたまじゃくしがぴちぴちはねる。水道水では好ましくないと思いつつも私は、取り敢えずに金だらいの半分程度を水道水で満たしてやった。
 たらいの中、おたまじゃくしは元気に泳いだ。私は、まあ大丈夫だろう、と、それ以降、水質をとくに気にかけることはしなかった。
「これでおたまじゃくしも伸び伸び泳げるな」
「うん、ありがとうお父さん」
 それから息子は金だらいの中、砂利や小石を敷き、水草をたゆたわせ、ビオトープのようにして観察を楽しんだ。
 私も子供の頃に同じようなことをした覚えがある。が、その後おたまじゃくしは、カエルとなったのか、カエルとなったとして、そのまま育てたのか、自然に帰したのか、古い記憶なので判然としない。

 息子のおたまじゃくしに、足が生え、手が生え、ずいぶんとカエルらしくなってきた頃である。
「お父さん、お父さん、ねえちょっと、はやく来て」と、庭先のほうから息子が私を呼ぶ声が聞こえる。
 私は玄関へはまわらず、庭に面した窓から顔を出し、
「おい、どうした?」と息子に問うた。
「おたまじゃくしみんな死んじゃったよ」
 そう私に応えると、息子は悲しそうに顔をくしゃげ泣きだしてしまった。
 私がサンダルをつっかけ、玄関から庭先へでてみると、金だらいの中、カエルになり損なったおたまじゃくしの群れが、腹を見せぷかりぷかりと浮かんでいた。果たして水が悪かったのだろうか、そうだとしても今となっては、もうどうすることも出来ない。

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