小説

『白雪姫前夜』伊藤なむあひ(『白雪姫』)

 結局、俺は女に何をしてやることも出来ないまま日々は過ぎていった。女は日に日に弱っていき、肌のツヤがなくなり、だんだんと独り言が多くなっていった。
 そしてある日、女はいつもより少し早く部屋を出たきりそのまま戻ってくることはなかった。
 女は結局俺を一度も使うことなくいなくなってしまったんだ。
 俺は女を待ち続けた。来る日も来る日も女は帰って来ず、閉じっぱなしのカーテンの向こうの光が、明るくなって暗くなって明るくなって暗くなって、それだけだった。
 俺は何度も同じ想像をしていた。それは、俺が女に使ってもらうという想像だった。
 嬉しそうに自分の服やら化粧品やら歯ブラシやらを俺に詰める女。
 あるいは大切な書類やら資料やらをギュウギュウに俺に詰める女。
 そのどちらも出荷される前に工場で教えてもらった俺の仕事だったけど、その想像は実現することは無かった。
 それからまた何日か経ったある日、女の部屋の扉が開いた。俺は驚いて玄関の方を見たが、そこにいたのは少し白髪の混じった気の弱そうな男と、俺の持ち主とは別の若い女だった。
 二人は部屋に入り何かを探し始めた。二人の会話からすると、どうやら俺の持ち主を探しているらしかった。俺は二人にあの女はこの部屋にいないことを伝えてやりたかったが、俺はトランクとしてここに存在しているが故にそれは不可能だった。
 けれどすぐに二人はこの部屋に女がいないことが分かったらしく、また何か相談し始めた。女が、俺の持ち主に色々と物を貸していたのでそれだけでも返してもらえないかと言っているのだ。初老の男はそれを了承し、女は部屋を漁り始めた。
やっこさん 引き出しや蓋を片っ端から空けていき、どこにあるのかな、これじゃないし、なんて言いながら装飾品みたいなものを物色していた。そのときはまだ俺もこの女を不審に思ってなかった。だけど部屋漁りが終わり、両手一杯に戦利品を持ちながら俺の方を見て女はこう言ったんだ。 
「あ、そうだ、そのトランクも貸してたんだった」
 その言葉で俺は全てを理解したね。この小汚い糞女は、始めから俺の持ち主に何も貸してなんかいなかったんだって。火事場泥棒って訳さ。未だに頭に来るぜ。
 その場で女を告発した方が良かったのかもしれないが、そのときの俺はこう考えていた。『俺はトランクとしてこの女に勝つんだ』ってね。まったく青臭い考えだ。でもそのときの俺にはそれが全てだったんだ。
 女は俺に近づいてきて一旦両手の物を床に置き俺に手をかけた。鍵なんて無い俺は全身に力を入れ、金具の一つでも外れないように身構えていた。持ち主にさえ開けられたことがないのに、なんだってこいつに開けられなきゃいけないんだ! 女は俺が開かないことに気付くと、あれー? おかしいなー? どうやって開けるんだったっけなー? とかわざとらしく言いながらも段々とその手に力を入れ始めた。

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