「そうですねえ、いつも通りですよ。新しい香水を買っていただいて、奥の座敷でお休みいただいて・・・。」
「衣笠はこちらで一夜を過ごしたのですか、町に戻らずに・・・。」
絵ハガキを見た時にうすうすは気がついていたことのはずだが、蓼科は自分の中に黒い霧のような感情が滲んだような感じがした。今まで知らなかった衣笠の婚約者のいる身でよその女の家に泊るその神経にか、この女と一夜を過ごした衣笠という男そのものに対しての嫉妬かは分からないが。
「ええ。あら、嫌ですよ。変に勘ぐらないでくださいまし。この店は宿も兼ねておりますのよ。衣笠さんはこの店を気に入ってくださって、出張の都度宿をとってくださるのよ。ほらあっち。」
女が顔を向けた方は、大きな扉があった。
「この先が宿になっております。香水を売っているだけじゃあ、生活成り立ちませんでね。宿もやっておりますのよ。質素な宿ですが、気に入ってくださる方も多少はいらっしゃいます。」
「香水?良い匂いがすると思ったら、この瓶の中に入っているのは香水だったんですね。これはかなりの高級品じゃないですか。」
「いいえ、香水はあたくしが調合しているんで、大したもんじゃありませんよ。瓶は別でちゃんと職人さんに作ってもらっているんで、それなりの価値はありますがねえ。」
「あなたが作られているのですか。すごいですね・・・。」
「せっかくですから、どうです?女が男を惹きつけるには香りは重要。その逆も然りですわ。所詮人間も動物だということですよ。お兄さん奥様か恋人でもいるのかしら。」
「いえ・・・。」
女は音もなく蓼科に近づき、そっと瓶を近づけた。甘い香りが鼻腔を突く。それと同時に女の温かいからだが触れ、その黒い大きな目に蓼科は吸い寄せられた。これ以上近づいてはいけないと、自身の中で警鐘が鳴る。しかしそのこわく的な瞳の光に、この女は何かを隠していると直感的に感じた。
何食わぬ顔で体を離した蓼科に対して、女は一瞬冷めた目をした。しかしすぐに笑みを浮かべた。
「分かりましたよ、せっかくここまで来ていただいたんです。あたくしが一肌脱ぎましょう。」
女は帳場に戻り鍵の束を持ってきた。
「あの日、衣笠様は夕暮れ時にこちらにいらっしゃいました。その後町を見ると言って出かけられて、陽が暮れてから戻っていらっしゃいました。こちらに戻られてからの話ならば、あたくしの方で事細かにお伝えできますけど、それ以前の事は分かりません。そこであたくしが心当たりのある店に行って、その時の衣笠様の様子について聞いてきましょう。」