蓼科は慌ててメモをとる。
「そういや、最近もあんたみたいな若い人が『繊月堂』を探しているって来たな。なんだい、今流行りなのかい。」
男は湯気の立つ天麩羅蕎麦を差し出す。
「それはいつの事でしたか?」
「確か、八月の終りくらいだったかな。身なりの良い、背の高い男だったねえ。」
きっと衣笠だ。間違いなく「繊月堂」になんらかしらの手がかりがあるはずだ。
気持ち焦りつつも蕎麦を平らげ、蓼科は腰を上げる。
「あんた、これから行くのかい?えらい道は暗いよ。」
「大丈夫ですよ、私は田舎育ちですから。夜目が聞くんです。」
「そうかい、ならいいけどさ。気を付けてな。」
礼を言って立ち去ろうとしたその時、二つの何かが光った。
猫だ。
白い猫が蕎麦屋の店主の足元に座っていた。
道は暗い。屋台から路地の奥に進めば進むほど、暗闇は深くなっていく。振り返るともう、屋台は闇の中に溶けていた。
店主の言っていた赤い鳥居があった。鳥居を潜ると急に世界が明るくなったように思えた。目が暗闇に慣れたのか、と一瞬思ったが、頭上から光が注がれていることに気がつく。満月が暗い雲間から煌々と輝くのが見える。満月が道を照らしている内に進める所まで進もうと、蓼科は足を速めた。
坂は急だった。坂道とは言えど、木々に囲まれた山道のようだ。幸い高さのある木は少なく、薄い雲に時々遮られつつも月の光が足元を照らしてくれる。
おそらく鳥居から真っ直ぐ進めばお宮にたどり着くのだろう。この道はお宮の先に抜ける近道なのかもしれない。
息を切らせた蓼科の目に赤い橋が見えて来た。
橋の前に立つ。丁度雲が切れ満月が明るく輝き、橋を照らす。その向こう側には温かい光。ほのかな光が集まる集落が見える。蓼科は吸い寄せられるように集落へ足を踏み入れた。
そこは山の中にある小さな町といった風情だった。町といっても汽車からおりてすぐの栄えた近代的な町並みではなく、一昔前の、背の低い木造の問屋が並ぶ懐かしさを感じさせる街並みだった。行き交う人々もみな小奇麗な和装で、洋装が大半を占める昨今には珍しい光景だった。