小説

『姫』木江恭(『人魚姫』)

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 朝焼けを背にして彼女は美しく微笑んだ。それじゃ仕方ないわ、とでも言っているようだった。だってあなた、私ではないひとを選ぶんでしょう。ならばそれが私の定めなのでしょう。
くたりと倒れ込む体をぼくは慌てて抱きとめる。
 彼女を支えている自分の手が燃えるように熱い、いや違う彼女が冷たすぎるのだ、彼女に触れている掌がどんどん体温を奪われていく。顔は青ざめて紙のように白く、いやそれはちょっと言いすぎかもしれない、そもそも彼女はこう言ってはなんだがお世辞にも色白は言えない外見でどっちかと言うと色黒「五月蝿い聞こえてる」痛!ああでも手が出るくらいなら、まだそんな元気があるなら一安心だ。いや待てそれはまやかしだ、ぼくがぼく自身を安心させたいがためにでっち上げた根拠のない妄想だ、だって現に彼女はぐったりとしてもう自分で自分の身体を支えることも出来ないでいるじゃないか。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。ぼくは自分で言うのも悲しくなるが全然イケメンでも秀才でもスポーツ万能でもなく、地味で真面目だけが唯一の取り柄のごくごく有り触れた十九才で、だけど彼女はそんなぼくのことを心から愛してくれていて、彼女がそれを言葉にすることは無かったけれどもそれは鈍感で自分に自信なんてこれっぽっちも持てないぼくですら勘づいてしまう程にあからさまで、その健気さにぼくはきゅんと胸を打たれた。打たれたけれども応えるわけにはいかなかった、だってその時にはもうぼくは、ミカという運命の相手と出会ってしまっていたから。
 胸が痛くて息が苦しい、ぼくは彼女を抱きしめる。彼女の体は固く強ばっていて、ぼくはまるで自分が拒絶されたように感じてひどく打ちのめされる。わかっている、自分勝手な話だ、だって先に彼女を拒んだのはぼく自身じゃないか。いや違う、拒んだわけじゃない、ぼくだって彼女とずっと一緒にいたかったし今だって叶うならそうしたいのに、それを受け入れられなかったのは彼女の方じゃないか。ああ違う、違うんだ、責めたいわけじゃないそうじゃなくて。
 例えば出会う順番が違っていたら?希望に胸ふくらませて出席した入学式、たまたま隣に座ったミカと目が合って微笑みを交わしたりしていなかったら、ぼくは彼女を選んでいたか?きっとそうだ、そうに決まっている、だって彼女はこんなにも懸命に全身全霊でぼくを愛してくれるのだから――いや、自分を偽るのはよそう、ぼくはきっとミカを選ぶ。何て残酷な男なのだろうぼくって奴は、だけどそれ程にぼくにとってミカは絶対的な相手なのだ。彼女のことを愛らしくは思っても、ミカに感じるような燃え上がる熱情、嫉妬、独占欲は無い。つまり彼女はぼくにとって年の離れた妹みたいなもので、それは彼女の望む種類の愛情では無い。ああ何て悲しいことだろう。ぼくたちは確かに愛し合っているのにすれ違っている。
 不意に彼女の体から力が抜けた。ぼくは驚いて彼女を見つめる。溶けたスライムみたいにぐんにゃりと柔らかくなった彼女の穴から、どろりと白っぽい粘液のようなものが溢れ出していた。ぼくは慌てて彼女を揺さぶる。おい、ちょっと、しっかりしてくれ、何が起きているんだ!彼女は答えない、ぐらぐらと揺さぶられる度にべちゃべちゃと白いどろどろが流れ出していく。

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