それと同時に、その哀れな甲虫は気づいていた。カナブンである自分には、特段これといった攻撃手段がないことに。案の定、男の一人によって暮来は呆気なく払い落とされた。
「このクソ虫が!キモいんだよおぉ!」
うわずった叫びを上げながら、もう一人がチェーンソーを振り上げる。他の男たちがなにやら喚きながら彼を制止する。
「馬鹿野郎!こりゃカナブンだ。まだ害虫認定されてねえんだよ。こいつを殺したら犯罪者になっちまうぞ。」
チェーンソーの男は一つ舌打ちをすると、クヌギのところまで戻っていった。意識朦朧とした暮来の目の前で幹は無残にも切り倒され、その後には一枚の看板が立てられた。
「害虫の住処となる危険性がある木のため、伐採いたしました。」
暮来の外骨格を涙が伝い、彼はグチャグチャの感情の中で意識を失った。
目を覚ました暮来は、全く知らない部屋にいた。一面白で統一されたその部屋には、微かに消毒液の臭いが漂っている。どうにもまだ意識ははっきりしない。起き上がろうとしたが、微かにブン……と羽音が立っただけで、またその場に転がってしまった。
「おっと。無理しちゃいけねえよ。何せ羽がひん曲がっちまってるんだ。」
声のした方を向くと、そこには巨大なアリがいた。
「こう見えても人間だった頃は外科医だったんだ。総合病院で働いていたんだが、院長と市会議員の癒着を内部告発しようとしたのがばれちゃってね……。あ、そんなことはどうでもいいか。とにかく、腕に間違いはないから安心してくれたまえよ。」
全く状況の掴めない暮来が呆気に取られていると、奥にあるドアが開いた。入ってきた者の巨躯と豪儀なる角に、暮来は思わずため息を漏らす。
「ヤマトカブトムシ……。」
そのカブトムシは穏やかな目で暮来を見つめると、低く、荘厳な声でおもむろに切り出した。
「いろいろと話は聞いている。馴染みのクヌギを切られたこと。それから、お知り合いのヤマトゴキブリさんを人間からの迫害で亡くされたこと。貴殿が抱える無念のほどは計り知れない。」
暮来は課長のことを思い出し、ぐっと目をつぶった。
「知っての通り、君の体験したようなことが、今現在、全国で起こっている。いままで害虫だの益虫だのという議論にも上らなかった虫までもが人間の都合で害虫認定され、次々と駆除されておる。そしてクヌギやコナラといった虫の好む樹液が出る木は、悉く人間の居住地域から姿を消した。これは明らかに人間の横暴であり、思い上がりだ。」