小説

『カグヤちゃん』木江恭(『かぐや姫』)

 どれくらいそうしていたのかわからないけれど、大きな満月が空高くに昇る頃になって、やっとカグヤちゃんが現れた。息をゼエハア言わせながら走ってきてあたしの隣にしゃがみこみ、囁いた。
 あいつをせーので突き飛ばすの、いくよ。
 あいつ?
 そう、あいつ。
 カグヤちゃんの指差す先に黒い人影があった。夜の静寂をザリザリと引き裂くような荒い呼吸、月明かりにくっきりと浮かぶ上がるがっしりとした大きな体。
 あたしは今にも飛び出そうとするカグヤちゃんの袖を掴んだ。
 どうして?なんで?
 だってあいつがあたしを連れ戻しにきたんだもの。
 あのひと、誰?
 誰だっていいでしょう。とにかく、あいつのところに連れ戻されたら地獄なの、死んだ方がまし。
 でも、でも駄目だよそんなの、あんなところから落ちたら死んじゃう。
 別にいいよ。
 カグヤちゃんはぞっとするほど怖い顔で言った。
 あんな奴、死ねばいい。
 あたしは怖くなった。青い月明かりに照らされたカグヤちゃんはすごく綺麗で、何だか全然違う生き物みたいでゾクゾクして、気持ち悪かった。逃げ出そうとするあたしの手を、カグヤちゃんが痛いくらいに強く掴んだ。
放して。やだ、怖い、放して。
 何処行くの。何で、どうして、何でもするって言ったじゃない。
 やだ、やだ、やだってば。
 あたしたちの声に気が付いた男の人が、ワアワアと何かを大声で叫びながらこちらに走ってくる。ぬうっと迫ってくる巨大な影から逃れたくて、あたしは夢中でカグヤちゃんの手を振り払う。
あ。
 カグヤちゃんの白い手はあっけなく離れて、小さな体は勢いよく後ろに引っ繰り返って、すぐそこまで迫っていた男の人を突き飛ばすようにしてそのまま――暗闇に、消えて行った。

 ザザザザザァッ――と、竹が鳴いた。

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