小説

『階段職人』早乙女純章(『小人の靴屋』)

 ギアーは破損した歯車を太い指で労わるように触れる。
「よく頑張ったな……本当に、よくな。一体……どれほどの人間の辛さや喜び、苦労を背負って、長いこと回ってきたろうな」
「父さん、そんなことしてる暇ないよ。どうするの、歯車が一つでも欠けたら、それはこの階段にとって致命的なんだよ」
「ああ……だが、今はこれにご苦労様と労わってあげようじゃないか。この階段を動かしてきた他の歯車だってそうだ。ほんのわずかでも休憩させて、ご苦労様と労わってあげようじゃないか。人間の重みを、人生を、休まず背負って、そりゃあほんの気持ち程度かもしれんけどな、前に進ませてあげること、ほんの少し背中を押してあげることが、わしらの階段の役割なんだと、わしも、そしてこの階段の歯車も思って、ずっと動いてきたんだ」
 ギアーは目を閉じて、眠そうに頭を前後させた。
「父さん、そんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ。欠けた歯車の代わりを探さないと、この階段、閉鎖されちゃうんだよ。みんなから見放されるんだよ」
「なあに、大丈夫。わしが今すぐその代わりになるんだからな」
「えっ……?」
 ポストは父の言っていることが理解できなかった。代わりになるとはどういうことだろうか。
「この階段にある歯車が元は何だったか、お前にはまだ教えてなかったな。『歯車』式階段を動かせる者も大分少なくなってしまったからな。もうそういう時代だからだとか、新しい技術が普及して、次の伝える必要はないのかもしれないと思って黙っていたが」
 ギアーは床に手をついて、ポストの腕を離し、自力で体を起こした。
「やっぱり、伝えておかないといけないんだな。この破損した歯車が、そう言っているかのようだ。『歯車』式階段は、やっぱりこれからの世にも、いつの世にも必要なんだと」
 破損した歯車が、ポストとギアーの手の中で、光り輝く砂となって、崩れ、消えていく。ふわりとした清々しい香りを放って。
「聞こえたか? 今、去り際に、『あー、幸せな疲れだった』と言っていた」
「…………」
 ポストは首を横に振る。聞くことはできなかった。けれど、父が聞いた言葉は決して幻などではなかったのだろう。そう思えた。
「みんな、元は階段職人だったんだ。階段を昇り降りする様々な人間の人生を背負って、階段を動かしてきた者たち。階段職人の役割をまっとうしてな、今度は一つの歯車に姿を変えたんだ。そして、次の者へ託していった」

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