小説

『明日、桜を食べに』柿沼雅美(『桜の樹の下には』)

 美保がメールボックスを開くと、部署内の全員に本部長と事業部長から続けてメールが入っていた。
 4月末で退職することになりました、昨日今日と席を外して申し訳ない、最後まで全員の面倒が見れず申し訳ない。という内容だった。本部長は次の転職先をにおわせているが、事業部長は新しい場が決まったらまたみんなにお会いしたい、という内容であった。
 冗談でしょ? とまた思わず口に出してしまった。皮肉ではなく、うっそ、という感じだった。次いで、どうすんのよ、と言いかけてやめた。異動や転勤が数日前に公示になることがあっても退職が数日前、しかも年度始めにというのは8年間ここにいて初めてだった。
 「わたしショック大きいですぅ、就職活動で面接したときに本部長が一緒に頑張りましょうって最後に握手してくれたので他の会社蹴ってきたんですもん」
 浅野さんが話す声が聞こえ、そういえば今年は新卒採用を中止したんだったと思い出した。
 「斉藤さん、これって本部長も事業部長も早期退職に応募してたってことですよね」
 真田が怒ったような口調で言った。少し離れた席の真田に、美保は残念な表情を作った。
 「そうかもしれないけど、自主的にというのはどうかな。早期退職の年齢には入っているけれど、本人の希望に関わらず上と面接はしなきゃならないみたいだったし。もしかしたら辞める気なんてなかったけど話しの流れのなかでそうなったのかも」
 はぁー、と真田がイラついたようなため息をした。
 「でもすごいもらえるんですよね、退職金」
 「会社都合で早期だけど…部長たちの年齢だと基準賃金の18ヶ月が加算されるくらいかな」
 美保は事業部長の遠藤に聞いた額を思い出していた。
 「えー、俺それもらえたらすぐ辞めますよ」
 真田が言うと、先輩の南が、それ辞めてもその先ずっと無職だぞおまえは、と笑った。
 「悪いけど私も新しい部長がくるのかどうなのかも分からないから、とりあえず今日はいつも通り仕事してみんなで早めに帰ろう」
 美保が言うと、浅野さんは、はーい、とかわいらしく返事をし、真田も真似をするように、はーい、と返事をした。
 美保は頭の中が一気にぐるぐるとしていた。落ち着かせるように深呼吸をし、嘘でしょ冗談でしょ、と湧き上がってくる声を喉元でこらえた。バッグからスマホを取り出し、メッセージのアイコンをタップする。遠藤隆一とのメッセージのやりとりを開き、早期退職に応じたなんて聞いてないよ? 辞めるなんて聞いてない。ほんとに辞めるの? これからどうするの? 私とはどうなるの? と送信した。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11