小説

『都会の街の喧騒の下』阿賀山なつ子(『桜の森の満開の下』)

「わかった、いくらでも話してあげるよ」
 男はやはり自信がありました。話を作ることも、また男の仕事のうちでした。男は東京での出来事や、空想の物語を少女に聞かせました。しかし、少女はやはり途中で飽きてしまったようでした。男は、なんだか壁に向かってただ一人で話しているような気持ちになりました。自分の足の先のほうが少し冷たくなったように感じました。顔の見える相手を前にして、ただ一人のために仕事をすることは今までなかったのです。そして、こんなにも反応のない相手に対抗する術を男は持っていませんでした。正確には、昔は持っていたけれどもう今は失くしてしまっていたのでした。昔というのがいつのことだかももう思い出せませんでした。
「これもだめか」
「だって、どれもどこかで聞いたことのあるようなものだわ」
 男は頭を抱えました。今までそんなことを言われたことはありませんでしたから、ひどく落ち込みました。しかし、少女にそう言われると妙に納得しました。少女に見せた歌も話も、自分に跳ねかえってきました。自分の仕事を自分で見ることは難しいことでしたから、男は鏡に向かっているようなこの状況に不安を感じ始めていました。しかしその自覚は男にはなく、その不安は少女が無知であることを嗤う気持ちにすり替えられていました。
「君はまだ若いし、こんな田舎にいたんじゃ、わからないのも仕方ないか」
「次は、そうね、お芝居をして」
「うん、いいだろう」
 芝居をすることも男の仕事でありましたが、男はあまりにも少女の興味を引くことができないので少し自信を失いかけていました。それでも、男には今まで積み重ねてきたものがあったので、その全てを少女に観せました。男は少女の前で、左へ行ったり右へ行ったり、きりきりと動きながら一人芝居を続けました。
『ああ、桜の森の満開の下です。』
 男がその台詞を言ったとき、少女は初めて反応を示しました。
「桜の森?」
「そう、この話は桜の森の満開の下っていうんだ」
「私、桜の森が見たいわ」
 少女はそう言いました。男はいよいよ苛立ち始めました。芝居を途中で止められたこともそうですが、少女が自分の歌や話よりもただの桜の森に興味を示したことに腹を立てたのでした。
「桜なんて新しくもなんともないじゃないか。それに、桜ならここにある」

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