教室は生徒たちの談笑で、木々がざわざわと揺れるようにさざめき、その隙間から黒板にチョークを走らせる音が聞こえてくる。すべての文字を書き終えた実行委員の沖田が振り返ると、ざわつきが僅かに収まる。黒板には「文化祭に向けて」という見出しの下に「出し物:劇、演目:」まで書かれていた。
「出し物は劇で決まり。何の劇にする?」
言い切ると同時に、さっきのさざめきが、急に大きくなった。クラスメイトたちはそれぞれの意見を、発表するでもなく隣席同士で再び喋り始める。
「劇とか分かんなくない?」
「ロミジュリは?」
「怪談系とか?」
好き勝手に出てくる言葉の数々を打ち切ったのは沖田だ。やや声を張って、
「オレは『走れメロス』がいいと思う!」
突然のことにやかましさは消え、水を打ったような空気感が室内を満たす。その後を追って、戸惑いを孕んだ呟きが疎らに聞こえてくる。
沖田が『走れメロス』を提案したのには訳がある。彼は小学校の一年から六年までの読書感想文を、全て『走れメロス』で書いてきた。当初は新しく本を読むのが面倒だっただけなのだが、だんだんに初めは見えていなかったものが分かるようになり、それが楽しかったのだ。四年生の時には担任に怒られたが、六年生の卒業時には次第に解釈が深まっていく様子が見えたと褒められた。そういうことがあったために『走れメロス』に関しては専門家と言ってもいいほどだと彼は自負しており、新しい視点から『走れメロス』を語ってみたかったのだ。
先ほどの小さな声の数々は、水の波紋のように広がり、瞬く間にどよめきに変わっていた。クラスのあちこちから、つぶてのように反発が飛んでくる。
「何勝手に決めてんだよ?」
「マジ、意味分かんねんだけど」
「なんでメロスなの?」
沖田は深く吐いた息を吸い、再び声を張って言った。
「メロスはみんな知ってる。有名だし、中二の時国語でやっただろ? だから二年以上なら確実に見る側も分かる。元ネタ分かってた方が面白いじゃん」
声を上げたクラスメイトたちは言いよどみ、しばしの間、窓から聞こえる野太いかけ声だけが遠くから響く。たぶん体育の授業か何かだろう。そんな沈黙を破ったのは川瀬という女子だった。