「本当は、絶対にうまくなんかできないし、諦めちゃおうと思ってたんだ。だけど、帰り際に緑川が声かけてきて、練習付き合うって言ってくれたんだ」
森田は言葉を切って、すーっげえびっくりしたけど、と彼らしいふざけて大げさに飾った口調で言った。だろうな、と笑い交じりに沖田は返した。
それから毎日練習を繰り返し、本番がやって来た。幕が開く直前、舞台に立つ林はいつも以上に張り詰めた表情だ。舞台袖から見守る沖田の手に汗が滲む。大丈夫だろうか……。
上演を告げるブザーが鳴り響き、幕が開く。
蔵之介こと林が舞台を歩き、そのバックで川瀬のナレーションが入る。
――蔵之介は最愛の人ジュリエットとの結婚式の買い出しのため、友人喜助の住む町へ出てきました。しかし、彼はそこでお館様が人々を次々と処刑していることを知ります。蔵之介は激怒しました――
「呆れた男だ、生かしておけぬ」
林の普段より野太い声が、体育館の後ろまで通っていく。堂々と、自信みなぎる響き。沖田はふうと息を吐く。いけそうだ。
場面は変わり、蔵之介とお館様が対立する。
「人の心を疑うのは最も恥ずべき悪徳だ」
蔵之介の断固とした言い方に続けて、緑川扮するお館様は冷たい盤石な態度で応じる。
「人の心は当てにならないと教えてくれたのはお前たちだ。誰もかれも私欲の塊さ。信じては、ならぬ」
二人のやり取りは素晴らしかった。不動の信念と信念がぶつかり合っている様を、林は熱情を込めて、緑川は石のような冷たさを持って、見事に表現していた。それからさらに物語は進む。喜助が登場し縛り上げられ、蔵之介は友を残して故郷へ戻り、ジュリエットと結婚式を挙げる。ジュリエットは時代劇にそぐわない全身白で統一したドレス風のロリータファッションで登場し、観客の度肝を抜いた。演じる早見が勝手のコーディネートしたのだが、もはや誰も彼女を止めようとはしなかった。
そして、濁流の場面が来た。蔵之介は大きな布を渡して作った川の中を進むが、途中で流れに呑み込まれてしまう。しばらく荒波のごとく、下に隠れている級友たちが布を揺すった後、対岸に打ち上げられた蔵之介の顔には土気色のペイントが施されていた。
蔵之介は死にました、というナレーションの後、会場がどよめく。それを合図に、蔵之介ががばりと起き上がった。彼がゾンビ化したことが告げられると、会場からは割れるような歓声が上がった。そして走る。マラソンランナーのようにみんなの声援を浴びながら、土左衛門化した蔵之介が走る。燃える日は沈んでいき、完全に消えようかという時、黒子たちが背景をぐっとスライドさせ刑場が現れた。お館様とはりつけられた喜助の姿がある。