その思惑がどうあれ、財布を届けてくれたのは事実だ。全身濡れ鼠の相手をそのまま帰すというのも寝覚めが悪い。
彼女はしばし戸惑っていたようだが、「いいんですか」と、小声で尋ねる。
答える代わりに、鞄から鍵を出して家の戸を開けた。
彼女はその日の晩、うちに泊まった。
その日どころか、一週間たっても彼女はまだうちにいた。
熱を出して倒れたのだ。
長雨に当たったせいか、体はひどく冷えていて、顔色は真っ青、口唇は紫で、慌ててタオルを貸して風呂も沸かしたが、翌朝には四十度の熱を出していた。
無理に起き上がろうとする彼女を押しとどめて、慣れない看病に奔走すること二日、なんとか起き上がれるようになった彼女を近所の内科まで連れて行ったのが三日目の昼、医者は過労と風邪だという。
家は近いのかと尋ねたが言いづらそうにしていたので、それ以上は聞かず、そのままうちで休ませることにした。度々ご迷惑をおかけしますと彼女は力なく呟いたので、今は気にせずしっかり休めと答えた。それから今日までずっと家のベッドで横になっている。
始めの三日は仕事を休んだが、いつまでも休んではいられない。四日目から留守を任せることにした。多少の不安を抱えつつ家に帰ってみると、印鑑通帳一式と彼女の姿が消えていた、ということはなく、都度玄関までわざわざ出迎えに来てくれた。
そして昨夜ようやく平熱まで下がった。
今日あたり何か話があるに違いない。
微かな緊張を胸に、仕事から帰って玄関の戸を開ける。
最初に目にしたのは、三和土の向こうに三つ指ついて頭を下げた彼女の綺麗なつむじだった。
かいつまんで言えば、彼女には帰る家が無いという。
東京に来た用事がまさにそれで、つい先だって家族を亡くし、他に身寄りがなく、遠い縁戚を頼って、着の身着のままやってきたという。
これからどうするつもりかと尋ねれば、
「お世話になったお礼をさせて下さい。ただ、手持ちがほとんどありませんので、身の回りのお世話くらいでしょうか。もしお邪魔であれば、かねての通り親戚の家を訪ねて、後日何がしかのお礼に参ります」
と、この耳が確かなら、このままここに居たいようなことを言う。