小説

『ヒメゴト』砂部岩延(『鶴の恩返し』)

 タンチョウの見頃は冬の十一月から、遅くとも三月くらいまでだという。寒さで不足しがちな餌を求めて人里まで出てくるのを、餌付けしたり眺めたりして愉しむものらしい。餌の豊富な春から秋にかけては巣に引っ込んで子育てに励むため、滅多にお目にかかれないとか。
 タンチョウも見られず、出歩くにはまだ肌寒いこんな中途半端な時期に、他にこれといって見どころもない辺鄙な村までわざわざやってくる間抜けはあなたくらいのものですよ、と言外に言われたようなものだ。レンタカー屋の店員もきっと知っていたに違いない。
「湿原は天然記念物区域でして、しかも私有地なので、立ち入るには許可が要るんです。まァ運が良ければどこかそのへんで会えますよ」
 闊達に笑う主人の笑顔が憎らしかった。

 
 緑のサバンナに焼けた夕日が落ちる。
 吹きさらしの展望台から橙に染まる地平を眺めながら、この光景が見れただけでも来た甲斐はあったと、ジーンズの裾から這い上がる寒さに身震いしながらうそぶく。
 一日がかりで湿原の回りをぐるりと巡ってみた。
 はたしてその甲斐あって、タンチョウには無事出会えた。湿原の彼方でうごめくごま塩の如き白黒の粒がそれだったに違いない。あいにく双眼鏡の持ち合わせなどなかったが、きっとそうに違いない。
 最寄りの観察施設にも足を運んだ。
 療養中のタンチョウをフェンス越しに眺めてはみたが、何か物足りない。頼めばもっと間近で見られたのかもしれないが、傷病中とあらばそれも忍びない。帰りがけに受付でパンフレットをもらったのは、せめてもタンチョウを見たという実感が欲しかったのかもしれない。
ーー帰るかな。
 一応の目的は達した。釈然としない気持ちはあるが、もとより思いつきの旅だ。上手くいかないことだってある。
 明日の朝一でホテルをチェックアウトして、札幌まで引き返そう。浮いた旅費で夜の薄野にでも繰り出せば、空いた心の隙間も少しは埋まるに違いない。
 夕日が地平に没していく。辺りは急速に暗くなってきた。

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